9月9日 【日本再生第532号一面感想・受けとめ】
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がんばろう第9回大会の15回総会が8月19日にあって、そのときの代表の基調というか、論点整理というのが、5面、6面、7面に載っている。そして中央大学の山田先生の「異次元の少子化対策効果はあるか。過去の失敗理由と今後の展望」という、第214回の東京の戸田代表を囲む会のときの講演録がそのまま掲載されている。そして、最後に、これも一面で引用されているが、インタビューで京都大学の中西寛先生の「世界史的な変動という視点から、危機の時代を考える」ということで、機関紙とっている方はもちろん読んでおられると思うが、全体の構成はそういうふうになっているので、そこからお話をします。
福島原発事故の汚染水問題の対応は、今後の日本のあり方を問う課題
まず、政治的に大きいのは福島第一原発の後の政府は処理水って言っているが、汚染水について。処理水と言われるものが海洋放出を、8月24日から始まっているという状況に対して、そのことをどういうふうに考えるのかということ。一つはその原子力政策という問題をどういうふうに考えるかっていうことと、それからいわゆる原発の安全性、ここだけではなく、原発全体の核の処理の問題をどう考えるかということと、特に機関紙が強調しているのは、3点目の、どうやってそういうことの合意を、もちろん福島の漁連の皆さんはもちろんだけれど、日本および中国が盛んに汚染水問題が出ていて、中国はもちろん、世界的にどうするかという問題も、それは特に太平洋諸島、小さな島々との関係をどういうふうに作っているのか。
今回のことを通じて、これは1回で放出は終わらないので、何十年もかかることで、当然配水については何十年かけてやると言っているが。この廃炉の問題を実際にデブリをどうやって取り出すかとか、取り出した後の保管場所とか、処理場をどうするかということが全く何も決まってないわけで、そういう問題も絡めてどうやっていて合意をとるかという問題が大きな一つである。
もう一つは、これずっともうわが国が衰退していく衰亡していく。もっと言うと破局していく、この国だけではなく、地球そのものがそうなっていく。そのときに、この「幸せな衰退」というふうに、何か茹でガエルの若者版みたいな。黙っているうちに死んでしまうことを、それをあえて自らわかっていて、そうしてしまうというような、ことのいわば、市民の実際はそれを目にして、自分たちはそうならないと。少なくともそうしないというところが機関誌の指摘では特にZ世代のとこに生まれていると。だからZ世代に生まれた人たちとの、さざなみという言い方をしているが、どうやって連携をどこでどう取っていくのかということが、展開をされている。
先ほど言った福島第1原発の処理水、ALPS、アルプス処理水について、機関紙は何か科学的に問題ないと言えるかもしれないと書かれているが、ここは少し整理しておいたほうがよい。
政府はアルプス処理水というのを何故放出始めたかというと、何十トン、何百トンというデブリが、まだ、原子炉のところに溶けているが、(これを取り出すのに12年ぐらいかかっている)今取り出しているデブリは、小指の先ぐらいである。だからこの先何十年かけてもこの調子では取れない。また、大地のへこんだところにその原子炉がそこが溶けているので、雨水や地下水が漏れている。それをドラム缶に入れるためているが、それを遮断する方法がうまくいっておらず、依然として漏らしている。
一方取り出したものの、タンクの敷地がもう目いっぱいになっていて、そのアルプス処理水という、トリチウムだけにした、人体にあまり影響がないものだけにした処理をして海洋に放出しないとき場所がないということが政府の見解である。そのときに、地元の皆さんの理解なくして、そういうことしないんだと、ずっといい続けてきたのだが、今回も何回も地元の漁連、福島県とか全漁連とか、話をして漁連の側は、了解しましたと言ってないのだが、にもかかわらず放水が始まったということである。
これが経緯だが、まず、汚染処理水ってどれくらいのトリチウムが含まれているかというと、2021年5月時点で、780兆ベクレル、少々わからない数字だと思うが、2010年の福島第一原発からは、2.2兆ベクレルのトリチウムが、海に放置され、今も放置されている。その350倍の量になるということだ。今対象としているのは、トリチウム以外の放射能の種類があるので、トリチウム以外の放射線、放射性物質の基準はもう残留しているということだけども、大丈夫ですよといっていて、しかしどうも大丈夫ではないと。これは共同通信社が、スクープで公開したのだが、いわゆるトリチウム以外、ストロンチウムやヨウ素、ルテニウム、テクネチュームやセシウム(原子爆弾に使う)などが実は基準を超えているということが明らかになった。取り除くと言っているけれど取り除いていないし、それからトリチウムの量というのは莫大な量になっているのが一つ。
現在、タンクに取っているといっているのだがどれくらいのところをやっているか検査したら3%に過ぎない。あとはとっていない。検出していない。その量はどれくらいかというと、現在、タンクに収まっている処理水は7割弱で、トリチウム以外の62の核質が入っているのが基準を上回っているといったのは先ほど言った通り。東電が出してきた資料はその3つのタンク群の中の、タンクの水の量の3%弱を調べて、準備し、大丈夫ですと言っているのだ。圧倒的に97%調べてないので、そのトリチウムが安全といっているが、トリチウムの影響は、これ大きくわかれていて、危険とも言われている。
トリチウムだけであればもしかするかもしれないが、海流に開放するということは当然食物連鎖というか、プランクトンがとりこんでプランクトンを小さい魚が食べて小さい魚をちょっと大きいのが食べて、更に食べてという、水銀と同じことになる。
ずっと回って蓄積していき、結局私たちもその魚を食べる。だから危険だという。しかし、危険ではないという学者もいる。危険だという学者も少数ではなく、世界的にはおられる。なおかつ、今言った核の中心のところが溶け出したに触れたところに触れた水というのは、世界で初めてである。そういう国はいままでにない。だから、より慎重にならなければいけないのだが、さっき言ったように、小指の先ぐらいしか取ってなくて、それで基準値を出しているということなので、果たして本当にそれでいいのかっていうようなことがある。
だから通常、原発で使われた汚染水、正常に稼働している汚染水とは違う、デブリに直接触れた汚水なので、そこが違うということ。政府は基準値の40分の1だと言っているが、本当にそうなのかという。またあの海洋放出しかないというよう政府は言っているが、実は技術的には二つの方法があって、大型タンク貯蔵案と、モルタル固形案である。政府はどちらも真剣に検討しなかった。一般的にはモルタル固形処分案というのは要するにセメントで固めるというもの。こちらが有力であるがいずれにしても二つの大きなやり方があってもどちらも採用されず、しかも、なぜ採用しないかという検証された議論もなく、今さっき言ったように、そのデブリの取り出しというのを前提とした敷地面積なので、他の方法で止めれば処理水ってこんないっぱいにならないのだが、検討したケースがないし、関係者の理解がなくて、絶対やらないと言っている。福島県とか全漁連とかとやっているが、政府はそのことをずっと言っていたが、ずっとこの間、福島県も漁業組合もずっと反対だと言い続けている。
直近の相馬双葉漁業協同組合は2023年7月、断断固反対と表明している。だから全然了解はしていないことがわかる。それで理解なしにはと言っているが、結局強行しているという状態になっている。したがって福島県内の自治体では、反対など、もっと慎重にやってくれとか、説明をきちんとやってくれっていうのを44の、市町村59のうち44が何らかの形で、意見書を上げている状態になっている。
それから公聴会が開かれて意見を聞いて、やり方とか方法とかを変えていくのではなくて、要するに追認。こうします、よろしくと言っているのにすぎないので、ほとんどの意見は反対となっている。慎重論も含めてほとんど反対。それらがほとんど反映されないまま今日にきている。それから、IAEA、国際原子力機関がもう大丈夫って言って、確か中央機関の代表の方が、福島に入って、それ大丈夫ってなったので大丈夫だといわれているが、IAEAにお願いするときのその資料っていうのはさっき言ったように、非常に限られた資料しか出されていない。だから限られた情報の中で判断をしているので、さっき言ったような全体の状況についてっていうことではないので、大丈夫だと言っても大丈夫の中身についてもっと検証をすべきでその検証はどんどん行われてないと。(IAEAは、「処理水は安全である」とは表明していない)ことにはなっている。なんでそうなのに、8月24日という期限を切ったのかは、つまりデブリを廃炉にするためにもう数十年かかるということがわかっている、廃炉にするためには、技術とか、それから要員とか、体制とか、そのことを気遣わなければならない。だからそれとの関係で、海洋放出言っているのだから、8月24日にこれしかないとやる。
ということは実は政府が言っていることと全く反しているのだ。だけども、岸田さんが、おこなったと。一般的には、あれだけの反対があり慎重派がありだったので、あるいは辺野古の裁判があったりしたこともあるが、一般的には、(こういうことがあると)内閣支持率が下がるのではないかと言われていた。でも実際下がってない。これはこの間ずっと私が言っている通り、アメリカのトランプ元大統領が4度起訴され、それでも、全然支持が落ちない。それから維新の政党が少しずつ支持率は下がっているが、依然として支持が高いということの関連性。
破局に向かう日本の現状認識から、今をどうして行くのか考える
これ機関紙も書いているけれど、はっきりしなければいけないのは、日本はもう衰退国家もっと言うと、破綻、破局に向かっているということである。世界のいろんな指標を見ても我が国はトップや、ナンバー3などはあまりない。GDPで今3位と言われているが、早晩ドイツに抜かれるし、あと5年もしないうちにインドネシアなんかあがってくる。だから国民1人当たりのGDPはもう既に世界何位というものでもないのだから、全然国際的な基準で日本が上位に入ることはもうほとんどない。ジェンダーギャップとか124位。だからもうずっと衰退に向かっていて30年経っているということになる。今現状何が起こっているかというと、日本の人口の1万2000人の年齢の中央値は49歳。
つまり一般的に言うと人生100年ってことで平均寿命が80年。もう半分過ぎている。その人たちの思いというのは、もうここ30年間、給料が上がるどころか下がっているわけでこれから上がっていくというふうにも、やっぱり思えない。だけども、そういう事実に向き合わなければならないときには、その世代も含めて、向き合えない。なぜならば日本が成長していくということをずっと小さいときから、そのお父さんお母さんの団塊世代だから。日本はずっと成長する、今は貧乏だけど将来は幸せになるんだ。豊かなんだということで育ってきた人たち。その人の子供たちである。
だが現実はそうなってないわけで、そうすると、その不都合な真実に、向き合うっていうのは大変なことだから、向き合いきれない。向き合いきれない上に、事実を認めなくて、見栄を張るのだ。見栄を張ると、わかりやすく言うと社会的な問題にレジスタンス、抵抗している人たちに対して、(社会から)ねじ伏せられていっているという(辺野古もそうだし、汚染水もそうだけれど)状況に気持ちがすきっとする。つまり、間違った政策でも、信念を持ってやっている。地球が滅ぶかもわからんけど、自分は信念を持って今の政策をやっている。という主張に同意が広がるのだ。もっと言うと、そういうことになっているから、そこの人たちの気持ちに支持を受けるってことは、差別的になるし、暴力的になるし、下品になる。そのことが支持されていく。だから、自民党はかつてのように高くはないけど、ぐっと落ちない。岩盤支持層があると言って、その間は、自民党もそうだし、維新もその構造にある、という中に生きている。ということが大事である。
通俗道徳とは何か、その歴史的経緯からの持続可能性とは
そこをさらになぜそうなるかという背景を、8月の総会のときに代表が盛んにいっておられた、通俗道徳という、日本人の何か考え方とか精神構造ということに通俗道徳ということが入っているが、元々これはヨーロッパの、カトリックから分化したプロテスタントの考え方であるが、日本的なことで言うと、江戸、明治時代はみんな身分制度で、農業が中心だった。生まれたときにも仕事が決まっていて、そこで人生も決まるし、居住区も全部決まるし、農業やっているのだが、だんだん農業から商業資本が生まれてきた。だからあの江戸末期のときはもう商業資本がずっと席巻していて、そうすると一生懸命生きるとか、倹約して生きるとか、清潔にするとか、親を大事にするとか、ということ等の規範のところでずっとみんな、それがいいことだというふうになってきたものが、商業資本が生まれると当然格差が生まれる。
そうすると、格差を得たときに、あの人は倹約家で清潔で人に優しくて親を大事にしているから、ああいうふうに富が生まれてきたんだと考える人もいたけれど、明治を超えて、違うんじゃないかと。ヨーロッパもそうなっている。ただヨーロッパの場合は、神のもとにはみんな平等であるので、それぞれが商業資本家として大きくなっても、神の前では平等だっていうことがそれぞれ個人としては同格になる。だから人権が生まれるし、産業資本が回るということと人権が回るところで二つの両輪で、ヨーロッパは成長してきた。しかし日本はこの人権ということが抜けて、明治維新という産業資本が生まれて、だからそこは当然だけど、どんどんどんどん産業資本が多くなっていくことになる。これは戦争に負けたのだけどもそれもそこからもずっと続いているのだが、だから、清潔であれ、親を大事にするべきで、勤勉で、頑張ろうという精神構造が、ものすごく日本人の精神構造に入っているので、つまり、わかりやすく言うと、彼が貧乏になっているとか、彼が不幸になっているのは、そういうことをしなかったせいだ。
つまり自己責任だということになる。努力しなかったからなっているのだというふうなことがずっと世の中を席巻して、更に新自由主義がこれを加速した。だから、その通俗道徳から見ると、さっき言ったように清潔であれ、倹約家であれ、あるいは慎ましく生きなさいというところの、持っている人にとっては、そうじゃない人たち、つまり努力してないという意味ではなくて例えば、外国人の人、例えば障害者の、例えば在日、例えばアイヌのひとというように、マイノリティの人たちが「それおかしい」と、おかしいと主張すれば、そもそも彼らは通続道徳の規範を破っていると。破って、ただでさえ努力するということをしなかった上に、破っていると。
だから、それを躾けなければいけないという感覚である。あるいはたしなめなければいけないと。だからヘイトスピーチも残る。一方ゲーム的な愉快犯として起こっている場合もあるけれど、政府の権力と結びついての場合もあるから、コロナの時にあったように、政府がやっているというお墨付きで飲食店を回って、なんで8時になっても営業しているんだな、みたいなことを言ったり、紙を別張ったりするのは、愉快犯というよりはむしろそういう背景、正義を実行している、実行する背景には、権力側の背景があってやるということになっているし、だから、行き着く先は、「自分たちの納めた社会保険料や税金があいつらに使われている、というのは、間違っている。そのことをきちんと指摘をしない左派はけしからん」となるわけだ。自民党的なバラマキだったりするのももちろんけしからんとなるが、そこで起こるのはもう一度言うが、「暴力と差別と下品さ」ということである。
だから、既得権打破というのが対象は、官僚や財界、自民党のことを僕らはイメージするけれど、かれは一度もその様な既得権数層と事あったことがない。むしろ自分は大体年収400万しかないのだから、年収600万とか800万とかいう人たちに対しても起こるし、それから年収200万とかより弱い人達に対しても起こる。勝ち組のところがだいたい800万700万1000万とすると、自分たちの税金は何であいつら400万300万に使われるのかということになるし、400万ぐらいの人たちは、200万、100万人たちに対してなんだ、あいつらというようになる。両方が差別の構造で進んでいくということになっているので、維新の問題も含めてアメリカのトランプの問題も含めて、そこにメッセージが届かない。
そうすると、変えようがないじゃないかと。しかし通俗道徳ということをもってしても、この間30年ということが、通常の生活をしていくということを、もうできない。だから山田昌弘先生が少子化のところでずっとおっしゃっているのは、もう親は、どうしても子供に自分と同じか自分よりも良い生活をしてもらうために、結婚があり、家庭があるっていう感覚はものすごく強いと思う、日本は。だから少子化対策そのことを前提にやっても効果がない。なぜなら、若者が自分の人生を予定調和的に自分の人生が描けると誰も思ってないから。どうしても、現状を、現状をこれ以上悪くしないような環境や、そういうような政治でなければ、位置がないと思うのは当たり前といえば当たり前である。
一方だけれども、50代以下の人たちにも起こっていると思うけれど、Z世代のところにさっき言った通俗道徳、自己責任であれという枠組みでは、自分たちは必死でやってきた、やっている。これ以上何をしようと言うんだ。しかも制度的なハンディキャップがいっぱいあるぞ。だからそれは違うのではないかという、これは社会構造の問題じゃないか、自己努力の問題ではない。通俗道徳ということがもう通用しなくなった世代に、世界的に言えばそのZ世代の人たちがいて、だからその中の例としてシールズの牛田さんの話を出しているのである。
アメリカもそうなっているので、全く展望はないかというふうに思うかもわからないが、アメリカでも共和党支持者と、それから民主党支持者という、アメリカはもっとはっきり、政党支持がはっきりしているのだが、お互いトランプ支持者とバイデン支持者、お互いになじり合ったりしているが、分断と不信がずっと広がっている。
しかし、打ち返しも起こっている。例えば、共和党支持者と民主党支持者にちょっと集まってもらって一つのテーマについて、きちんと真ん中にコーディネーターがいて、相互にお互いの主張を聞いて、反論したり、主張したりするという空間を、アメリカでも作り出している。最初はものすごくエキサイトしていた人たちが、(大体全員ではない。9割近くの方は、こういうお話なるほど、共和党支持者の人はこういうことだとか民主党こういうことがあったと納得する)自分の主張を変えるかどうかは別にしても、相手が何を言っているかということは理解するというように双方なる。これは対話と言ってもいいし、そういう公共空間といってもよい。逆にそういうことがないと、どうしても相手の言っていることはなぜだろうかとか、どういう背景が来ているかというのは、自分の主張は意外とストレートに言うのだけれど、相手の人の背景に関心がないとそれなりの努力しなければいけないのでやっぱりしないものなのだ。きちんと公平なコーディネーターがいて、ちゃんと取り扱うということをやらないと、わぁっとなってしまう。共和党の場合は煽って大統領府の破壊までと続いたわけだ。だから、ダイアログ、対話ということがやっぱり非常に重要な、どこでも重要な時期になっていて、説得するとか論破ではなく、相手が何でそう言っているかっていうことを押さえて理解してもらう。双方意見が違っているから、ということが大事である。
例えばイギリスが、EUから離脱するときに離脱反対という人と離脱賛成という人たちがいた。結果的に離脱してしまったが、離脱反対と言った人の中にも、「今でも自分としては、離脱は反対なのだけども、離脱をしたいと言っている人たちが何故そう言うのかは、自分なりに理解している。全体としては投票の結果を尊重するが、自分の意見は残留した方が良いと思うけれど、結果的に離脱したことについて投票の結果を尊重する。相手の言っていることもわかるということがないと、民主主義であるはならない。イギリスが全部成功しているとは思わないが、アメリカはさらにトランプさんが4度目起訴されても、逮捕されたときの写真をTシャツにして13億円を集まるということもある。
今福島に関して言うと、合意の取り付け方方をどうするかということが抜けてしまっているわけ。単に福島漁連の人たちだけではなくて、例えばIAEAを含めて検証のプロセスを、全部オープンにするとか、それからもっと言うと中国が基準を超えてということを今盛んに政治的な背景があるので言ってきているときは、中国の代表団を入れて、検証すればいい。安心だって言っているのだから。人体に影響はないと言っているから、というぐらいの、国際的な意味で、機関紙に書いてある通り、太平洋諸島国が沢山あるが、代表者を入れて、その代表団と科学者を入れて、処理水はこれだけ安全ですということをやることが大事で、汚染水か処理水かということを農水大臣があの会議の後に汚染水といって謝罪に追い込まれたが、問題はもっと別のところにあるし、言葉の使い方ということもあるけれど、中国が日本の輸出の3割になっているときに、当然中国はその海洋放出をしたときにはしかるべき措置をとりますと言っていた。それを全く想定外だというのは政治的にはどうなのだろうか。何故なら事前に言ってきているのだから。これに限らず、中国はそういう政治的な意味で、台湾のパイナップルを入れないとか、あちこちでやっている。だから一方、WTOに訴えるみたいなことは言っているけれども、想定されたはずで、想定外というのはまるで何も考えてなかったとはどういうことか。1300億円もその風評被害対策を税金でもう1回出すというのは、問題である。
国際関係性の新たな軸から、今後の日本、地域、家族を結んで行く
それで、これは国際社会の中でどう進めていくかということがあるので、特に中西寛先生が、今後の日本のありよう、今回の問題についてどうなるかという、記事の中でこれまでと全く違う、ロシアがウクライナに入ったとことも、もちろんその戦後の構造をもう根本的に崩したのであるが、今後どうなるかっていうと機関紙に書いてあるようにアメリカが覇権国でこれに代わって中国になるっていうことでもないと。だからある種のバランスオブパワー的なもの、多民族帝国間の合従連衡が秩序の基本を提供することになる他ないのではないかと、ちょっと難しい表現だが、その下に、地球的に見ると、アメリカ、中国、インド、EUのような大きな規模の国民国家というよりは、むしろ多民族的な国家、あるいは帝国的なものが複数存在し、つまり1強があって2強、3強というのではなくて、強いものがある程度は、帝国的なものがあるけれども、それが一つの大きな軸になって、一方、それほど大きくはないけども、国家連合のようなもの例えばASEANなども含めた太平洋諸島国等もそうだが、そういう、何か二つの大きな軸で世界はまわっていくだろう、そのときに日本は、両方とも、アメリカはもちろんだが、中国に対して、関係性が歴史的にあるし、それから太平洋諸島国については環境問題があるので、どんどんここは砂が侵食して、もう生存ができなくなっているところもある。
だから地球環境問題、沸騰していると言われる環境問題も含めて、どうやってこの連携をしていくかという、その潤滑油、つまり人々を結んでいくような役割が日本にあるので、だからミドルパワーというふうに昔言われていたが、そういう役割が日本にある。そのためには、先ほど言った海洋放出のやり方とか合意形成の取り方を、悪い例としてではなくて、いい例として、やらなくてはならないので、何とか今後何十年も続くので、一回放出して待っておこう、これでおしまいということでは当然ないし、政権そのものの、政権交代あってもすぐ変わるとは思わないが、それでも現状の政策が転換していくということを含めて、展望していければ十分に国際的な位置を占めることはできると思われる。とりあえずここでいったん終わる。
受けとめ後の対話
吉田
今日チャットの方で書き込みがありまして、処理水の方の海洋放出の方の話ですけど、「処理水海洋放出問題は、沖縄基地問題と構造が似ている気がします。沖縄知事のように、福島知事が、福島県知事が強い反対のコメントは出されていないのでしょうか?」という質問です
白川
反対の声としてはたしか上がってないと思います。ただ、慎重にやってほしいと。それはさっき言ったように、地元のっていうのはどこを指しているかちょっと曖昧なので、理解無くして放出しないって言っているからです。さっき言ったように県内の市町村とか、それから漁連も含めたところは、少なくとも賛成というところはないんですよ。開放大賛成みたいなところはね。安全性だからってことはないけど、少なくても反対や慎重ってことはある。だから、風評被害っていうことを盛んに政府は言っているんだけど、逆に今こそね、福島の魚を食べてね、福島を応援しようみたいなことがネット上で踊っている。それから維新の音喜多さんなんかもそう言っているわけです。だって政府が安心だって言ってんだからさ、安心だったらうち大丈夫なのだから、別にたくさん食べましょうっていうことは必要ないんでしょ。そう言えば言うほどそれが風評被害になるわけです。結果的にアルプス汚染水っていうのは安全じゃないってことを現に言ったようになるわけです。
だからこれが、もっと日本の福島支援と言いつつ、やっていることは結局風評被害をばらまいているってこと。特に政治家がやった場合は問題になる。福島確か知事は反対というふうにおっしゃってなかったと思います。待ってくださいね。2020年10月の段階で、福島県内59の市町村のうち44の市町村が、処理汚染水の防止に関する意見書や決議を可決してですね、そのうち27が法律反対、うん。陸上保管をしてくれということです。14の関係者から、もっと丁寧に意見聴取をして、風評被害を止めてくれっていうふうになっているので、3ヶ所賛成っていうのはあったんじゃないかと思いますけどね。
吉田
はい以上ですね。ありがとうございます。
白川
今チャットにいただいた方は、認定特定非営利法人原子力市民委員会というふうにネットで調べていただければそこに載っています。今回のアルプス処理水の見方をどうしたらいいのかとか、それは声明が出ているので。それを参考いただければ、もっと私の説明がわかりやすいんじゃないかと思います。はい。声明はね、「アルプス処理汚染水の海洋放出に抗議する」いう声明が出ています。それだけでもネットでひけば出てくると思います。アルプス処理汚染水の海洋放出に抗議する。というのを引いてもらえばそこで、この原子力市民委員会だと、ありますので、関連するような東京電力の資料とか、原子力市民委員会の資料はもちろんですけども、朝日新聞その他のやつも、載っていますそこのホームページを開くと、原子力市民委員会、はい。
吉田
今見ていますね。ちょっと出しましょうか、私出してしまったら、せっかく、せっかくですからね。私の説明はそっちですね、わかりやすいといいますか。
中断(音声なし)
白川
すいません。今電池が、集音マイクの電池が切れていたんで、聞こえず申し訳ありません。どこら辺がどこから聞こえなかったから聞こえなかったかを教えていただければ助かります。ジャニーズの話ジャニーズ事務所の話をしていました。すいません。
吉田
(チャットから情報を得ている)はい。全然見てないわけですね。やっぱりこのマイク、もう限界かもしれませんちょっとね、相当使いすぎてですね。もうマイクがなんかちょっと機能が完全に回復してないんで、すいません。(チャットより)ジャニーズの話は全く聞こえませんでしたって残念、残念だ。
白川
残念だな。すいません。一言で言うとですね、ジャニーズの会見があまりにもお粗末だったという批判はあちこちあって、ジャニーズの名前を残すこととか、それから被害者が200人若ものが200人以上で40年から50年間に渡ってですね、ああいう人が権力、ジャニーズ事務所の社会的地位を利用して、それから放送業界も全部それを利用して、それがママスコミも全部それを隠蔽してきた。結果こうなっているんですよね。
したがって、私が思うには、もうジャニーズ事務所の名前を続けるなんてことは論外ですし、それから持っている株を全部売り払ってあるいはジャニーズ事務所が持ってる資産を全部払って、補償に充てるべきですし、当然会社が解散して、新しくジャニーズ事務所のタレントだった人がちゃんとデビューできるように、あるいは活動ができるようにできれば別の会社を作って、別の会社がちゃんとフォローすることと、それから特にテレビ局を中心として隠蔽してきた自分たちの中にも第三者委員会を作って検証すべきだと。
ということを申し上げていました。これは正論です。ただし、なんというか、虐待される、された子供の母親、あるいはシングルマザーとその夫の関係にあるように、ご本人たちは虐待されているとも、子供がわかってても、抵抗できないようになってしまうし、もしその抵抗した自分がそうされるんじゃないかっていう恐怖感もあって、全部支配の構造に入っているので、もちろん加担をしてやるんですよね、死んだんだけど同じようにですね、ちょっと裁判がそこは同じように扱っているんですよね。やっぱ母親でありながら子供を追い込んだというような。法律的になるかもわからんけど、枠組みとしては、そうならざるを得なかった状態ということを十分わかった上で、その精神的には全く健全でなかったということを本人にわかるように、そしてそこからちゃんときちんと治療すると回復するということの、プロセスがあった上で、罪そのものをどうするかってことがないと、同じ構造で、あの時出ていた記者会見の人たちも、支配の枠に入っているので、さっき言った正論を通すにしてもあなた方は精神状態は支配の構造に入っていると。
だから、一旦そうなっているかどうかということで専門家の診察を受けて、やった方がいいですよ。おそらくそうなっているはずですから、ということの感覚が、残念ながら、もちろんマスコミにも無かったけれど、世間にはないので、従ってその構造が崩れないということは、先ほど言った。暴力と差別と下品さということが、幅を活かしてしまう。そういう意味では、そういう意味ですよ。その支配の枠にみんな入っているってことですよね。単純に被害者と加害者という2項対立で、物を見ては駄目だと。
だから同じように機関紙もそこまで書いてないけど、これまで日本が太平洋戦争で被害者だったという主張をすると、広島長崎の被害者であって主張すると、今度は何言っているんだ、東アジアで虐殺したじゃないかって、加害者の立場を考えろっていうこの、この構造ですね、加害と被害の二項対立で物事を語るではうまいこといかなかったですね。ということで、すいません残った時間をせっかく吉田さんは京都宇治市のウトロ祈念館とに行ってこられたので、その報告を。いや私が言ったことに質問でもいいし意見でも良いです。
吉田
ちょっと昨日ですね京都の方にウトロ地区というのがあるんですけれども、そこは戦時中に飛行場作るということで朝鮮の人たちも労働者として(飯場だった)そこに集められていて、そこで作業しながら、暮らしていたんですけれども、戦争に負けたので、中途半端になってしまって、飛行場の建設を終わってしまい、だけどもう、要は何も仕事がないけどそこに取り残された人たちが住んでいた場所なんですね。そこがですね、今回去年かな2022年に祈念館を作ったと。それはなぜかというと、その戦後にですね結局土地の買収の問題があって、住んでいる本人たちが知らない間に勝手に買収されてしまいかけて要は住むところを追われそうになったという事件があって、そこから20年間ずっと戦って来ていたんですけれども、そういった歴史をやっぱり残していかなければいけない。ちゃんと伝えなければいけないという運動が同時にずっと起こっていてそれの記念館を建てようということで実際に去年建っているんです。
ところが2021年の段階にその記念館の建設反対とその在日の方たちに対する憎悪、ヘイトからですね、放火事件が起きて。結局そこで亡くなった方はいらっしゃらなかったんですけれども、7棟全焼を全半焼してしまってというような事件があったので、そこの部分も含めて、展示は書いてあったわけなんです。展示自体はもう文字ですので、本当に淡々と書いてあると、私は何て言ったらいいのかな、そのイメージとして全く私も行ったことがないところだったので一体どういうイメージなんだろうと思って。ある程度なんて言ったらいいんだろうか、覚悟するって言ったら変なんですけどもよっぽど悲惨な状態なことが書かれているし、はいこんな感じでですね、パンフレットいっぱいもらってきたんですけれども、あの書かれているんだろう、そういったものを自分は目の当たりにして受け止めていくんだろうというふうに思いながら行ったんですけれども、実際は本当に綺麗な建物ででも、とても悲惨なことが書いてあるんです。
だけど本当に淡々と書いてあるというのと、やっぱりすごく私は強さを感じました。人が生きるっていうことの強さって、これは本もあってこれは「ウトロここで生きここで死ぬ」という我々は進んで戦うという、ずっと道路の住民の人たちの戦いの記録が本になっていたり、私が救われたと思ったのはこれが通常だといわゆる通常だと、ここの住民の人だけが一生懸命運動して、それに対して、世間はあんまり、特にその日本人はそこに対してあまり賛同しない否定的であるというのが何か一般通説のそれこそ通説のような感じに思っていたのが、ここの人たちは、そうではなくて、支援をするんですよね。周りの住民本当に日本人がここのところの人たちは一緒の人たち、一緒にその地域で生きる人たちなんだと言って、支援を始めるんです。
その支援の輪がどんどん広がって最終的には韓国にまで行き、もちろん日本を動かすというところで地上げ回避というか、ここに住んでいいことになったし、ただしする条件としてその今まで住んでいたところ取り壊して、隣にすごく綺麗な住宅アパートなのかマンションなのか、そういったものが建っているんですよ。だからそのままの中では生活できてないんだけれども、でもその場所にその人たちは今も生きていて、その歴史と、を伝えているっていうところに行ってきました。
私が感じたのは、歴史の中でその都度裁判が起こっているんですよね。だけどそれが社会の、その時代の流れによって、当然その昔の裁判は何、何でこんなの判決になったんだろうというのがあるんだけど、あの法律法っていうのは、もちろん人が裁くからなのかもしれないけど本当に社会の流れに左右されるんだなというのをすごく感じた部分があったのと、なんといっても、やっぱり強さ、そのさっき一面で言うならば、この「あきらめるわけにはいかない」ということをもちろんそうなんだけど、しそうな状況ではなくて本当に明るくやるんですよ。この人たちは農楽っていうその女性の、韓国の伝統文化、伝統の音楽なんだと思うんだけど、太鼓とかそういうのを必ず最初にやってから、何かデモが始まったりイベントが始まったりするんだということが書いてあって、それを別にしなければいけないからとか、そういうことではなくて自分たちは農楽を楽しんでいたと。ウトロとは何かっていうものがないので、ウトロってこういうところだとかっていうのがないかったところに何か自分たちが発信するものを作ろうと言って、音楽を始めたっていうことも書いてあって。それは何となく私達がイベントをね、するときに、何となく踊りを入れてみたりとか、音楽で何か人目を引いてみたりとかっていうのとは全然違う。韓国の人が朝鮮の人たちなんだけど文化とかこの人たちがこの確固とした文化として伝える道具として、自分たちの文化を出してきているということが私はその主体的意思というのを非常にそこにも感じたし、特にもう住むところがなくなっちゃうという、まさにその必死の部分というのは当然あるんだけど、ただ、被害者として私達はここから動かないとか、そうではなくてここで生きるんだという意思の強さ、明るさ。だからだからすごく明るいんだと思うんですけど、生きていく中で運動して生きていく中で戦っていくっていう強さをすごく感じたので、
白川
ちょっとこの機関紙で小名浜の漁師の話が出るでしょ。漁師としての反対もあるけど、市民としてやるやり方もあるので、この人ね、理研さんというですね、調べました。ぬるいかわかんないけどみんなで話して、そのデータをきちんと確認してやっていくっていうやり方をやろうと思っていますっていうことなので僕はやっぱ感覚的には重要だと思うんだね。
吉田
そうですね。
白川
という感じで、何ていうかな、まず決然とやらないかんときもあるけど、普段の暮らしのときは決死の覚悟ではもうもたないから精神がね、やっぱあの基本的な生活をしてたいというのはこういうことだと思うんだよ。
吉田
そうなんですよ。だから生きるということを真っ向から捉えている人たちなんだなというのが私の感想なので。その最初にちょっとかなり決意をしてしかもね、すごくわかりにくい道なんですよそう地図だけ見たらね、これはごめんなさい、本当に偏見なので、まあその偏見は打ち破られるんだけど、地図だけ見たらね、どうしてここの道行けないのってみんなで道の途中で止まってて回り道をするようなナビではそういうふうになる。これは何で回り道をさせられるのかっていうのをずっと考えていたんだけど、それはただ単に地形的な問題だというのが後からわかるのですが、私はそこに何か意図的にあるのかしらって感じちゃうぐらい
白川
飯場だったからじゃないの?いいところに飯場はないよ。
吉田
もちろんないんですよ。うんそういう地形的な問題なんだけど、私はそこがその確立された全て遮断された場所なのかとかって、いうことまで考えて、何かすんごい暗い気持ちで電車乗ってたんだけど全然そんなことなかった。思い込みも本当に思い込み。でも思い込みっていうぐらい、差別、特にこの人種差別であるとかヘイトっていう問題はあまりにも暗い話が多すぎる。
白川
諦めないという感覚がなんていうかな、その拳を振り上げて、やらなければいけない感じがあるよ、あるけど、諦めないっていうのはやっぱり自分の暮らしの関係のところ。ただ自分の家族とかその人の地域とか言うと人の関係性で、暮らしを紡いでいくっていうことも強さや美しさみたいなことであって、なんかそう今朝頑張らないとだめなんだ、これが毎日ですっていうのは、それはある意味ね沖縄の座り込みも、そういうこと自身は大切なことだけれど、感覚的には同じことなんで、この漁師が言うように。毎日なんか調べて、1人ずつ話し合ってっていうことの一つとしてなっいてる。だから生活になっているから、なかなか話できないけどね。
吉田
だから忘れないとか伝えるとか、そういうことは何か特別なイベントではなくて日常なんだ、それがね、その焼肉パーティーをするらしいんだけど、すごくすごいらしいですね。だからもうあんまりね、見なくなったと書いてあったけど。だんだん高齢化していたので。だけどそう伝えるとか、紡ぐということが、意識しないと忘れちゃうんだけど、だけどそれをイベントではなく日常なんだなと。
白川
だから阪神淡路大震災のときに朝鮮学校が対応したときも同じことだったよね。日常的にやっているから、うん。もう全然もうみんな初めて日本人初めての人いるからさこんなとこだって、知らなかったみたい。一方受ける方は、文化的に異なっているから別に特別に、いや、そんなこといっぱい作ったと思うんですよ。感覚的には地域の人と一緒っていう。
吉田
そうなんですね。だからあまりにも日常なんだなというところが、私達が普段の日常の関係性をどうしていくかっていう話をしますけど、これは私はウトロに行って、ここはある意味特別な場所だと思って見てきたことなんですが、そうではなくて、私達がよく言う、その地域、自治会であるとか、地域コミュニティであるとかそういった私達が普段やっている活動であるとかっていうような会でもね、PTAだってなんだってそうなんですけど、そういったものの中の関係性というのをやっぱり「いつもこうしているからこうするわよ」っていうようなところまでもう一度持っていかないと、すごい本当に有事、どんな有事があるかわからないけど、有事のときに大パニックを起こす、大崩壊をする。それがまたヘイトに繋がるという連鎖を何とかしなきゃいけないなと思いますよね。
白川
悪く言うと、日本はさっき、通俗道徳と同調圧力の強い国だから、今年ね、関東大地震100年で朝鮮人虐殺が台湾の人も、それからもちろん日本人もそういった社会主義者も殺されて、それ、この前だから福田村という、千葉県野田市が舞台になったあの史実をもとにした映画なんかもあるんでやっぱり、誰かが先導して朝鮮人を殺せっていいうふうにならないんですよね。ある意味自然、自然発生的。自然発生的になる背景はもちろんあるわけで、なんていうんですかね。元々こう書いてある通り中国の大陸とのの関係で朝鮮を支配している構造があるから、当然朝鮮の人を下に見ているわけで。そしてその下がえた・ひにんだったたわけで。
だから、それで戒厳令が敷かれれば、軍隊や警察や行政のお墨付きがあって、そういうあったので全く日本人に関わらず殺してしまうと、だから、いとも簡単に起こるんだよね。あれはもちろんあの、捕まって、あの裁判になる、殺人だからね。ただ対象者は恩赦で短い刑期ででてきて、だけどみんな口を塞いで言わないのですよ。喋らないのでよくわかんなかったんで、あとこれは野田市だけであったわけじゃなくて埼玉県でも本庄とかあちこちでやっぱ同じように、近いからね、東京は。近くはどんどん逃げてきてする人いっぱいいたので、そういうことは非常に何ていうかな、歴史的なことを刻んでいくときの、こんな小さな碑であったとしても意味があるんで、それを今、掘り起こそうとしている。やっぱり、それは俺もまだ行ってないけど、あの碑はやっぱり実際見て、そうですねというようなことが大事で、それはそんなにある意味観光がてらでも何でもいいんだよね。半分観光で沖縄に行ったから、韓国行ってもいいけど、その、受難した人たちの刻んだ碑をみてきたりすることが大事だと思う。
吉田
なんかね、私はちょっと子供たちと一緒に行ったので、何とかね、子供って言ってももう全然大きいんですけど、彼は22ですね、22の男の子なんですが、日頃から活動の場が必要場が必要だっていうとこ私達もよく言いますけどね、場が必要だ。場ってなんだっていうのは、あんまりよくわかんなかった。だけど、本当に場が必要なんだよっていうふうに祈念館を出たときに、すぐに言われたんですよ。生きていく、それ特にそれが生活の場で、生活の中にこういう場があるっていうのが、やっぱり関係性を深くする強くする、そして運動として継続するためには絶対必要なんだと思うというふうに彼が言ったのが、印象的だったのと、あと娘も行ったんですけど娘は18歳なんですが、娘の方は、差別をする心理。差別て、なんで差別をするのかっていうことをが、私達はやっぱり既得権だとかっていうのがあるけど、人よりも有利であるとすること。このために誰かを貶めるというこの構図は別に日本人だけではないと思うけれど、どうしてこんなに日本人はそれを一般的に、何だろう、彼女が言っても面白くて例えば黒人差別であるとか戦時中ドイツだったらそのユダヤ人差別であるとか、あとはもう、何て言うんだろう。奴隷であるとかっていうような身分とかそういったもので分けることが多いように、日本人はその差別の対象が至るところにあって、何が急に差別に変わるかわからない。というふうに言っています。だから今回のこの朝鮮の人たちの問題っていうのは、戦争の昔からっていうのもあるけど、ある種、わかりやすいヘイトで、だけど自分がその18歳の彼女が今まで生きてなく生きていた中で感じた差別であるとか、いじめというようなもの、虐待という問題は一体何がその基準なのか全くわからない。日本人は本当にわからないというのが彼女の感想だったので。
白川
そうですね、はい。本当に。「家族と国家は共謀する(角川新書)」うん。必読書ですから、ぜひ読んでいただければ。それは何でかというのは少しわかってきます。
吉田
はい。読もうと思います。それは私が読むのかな、わかんない彼女が読んだらいいのかな
白川
信田さよ子さんが書いた。
吉田
いやだから本当、京都から30分ぐらいで行けるんですよ。1回乗り継ぎぐらいで。あそこは本当に行かれた方がいい。ただ、事前にやっぱり学んでた方がいいので何か知識あっていった方がいいと思う。全部書いてあるからネット上にいっぱいあるから、別に調べればいくらでも出てきます。うん。というのが感想です。
白川
うん。さっきちょっと言ったけど、なんていうかな、分断と不信をこれ以上をしてはいけないんだけど、一方その暴力と差別と、下品さが起こしている状態だけどどうやってそこ何とか打ち返していくのかっていうこと。なんだけど、その資料集一番新しい資料集355号、8月20日号に、私もこれ新聞で読んだんだけど、朝日新聞の8月11日対話できていますかっていうなんていうアクション。永井さんが書いてる。
「社会には様々な分断があります。それでも対話の場は成立するでしょうか」って言う。問で呼び込むという努力はできると思います。まず相手にどう、この問題はこの程度ですよね。例えば、国葬に賛成するか反対するかではなくて、人を弔うってどういうことなのか。あんた保守か革新かではなくて、うん、国を愛するってどういうこと。どういうことになるんだろうという問いから初めて見る立場が違っても、同じ問いを考えることはできる。
問で繋がれると、ギリギリの可能性がありますという、問題はその場が提供できるかどうか。さっき言ったね、物理的な場でもあるけど、いわゆるそういう空間、これがなかなかできないので、だから、例えば大阪都構想の時に2回にわたってね。結果的には反対が多くなったんだけどあのときは、やっぱり維新はどうしようもない、あいつが負けるわけがないっていう人もいたけど、そうじゃなくてって都構想って何なのか、何が上手くいって、何が上手くいかなくなるかっていうのは相当丁寧にやってんだよね、そこははい、維新、維新ではないんだよね。
だからその広がりが、結果的にはああいうふうになる。その結果と実際の統一地方選挙の結果がもう全然ちがうのだけれど、というのは逆に言うと統一地方選挙の争点がそうなってない。どこでも、越谷でもそうだけどさ、要するに好き勝手なことを皆いうだけの話で、いったいこの地域で何が課題になっていて自分はこう考えるんだけど、維新がこう考え公明党はこう考えているなんて何にもない。それぞれ個人で調べると大変だしね。だからみんなもうまあいいか。あの人お祭りに来た人だから入れてあげるか。そうすると、結果的になっているよね。議会が始まっているから、全く別に違いを強調するじゃないけど、政治っていうのは社会にある問題を解決していく行為のことを政治って言うんだから、ちょっと社会の問題はどこにあるかという共通認識がなかったら駄目だし、共通してあったとしてもどういう手段でどういう人たちがどういうやり方でやるかっていうことの話し合いが議会、もうないんだからさ、実はもう、関係しないよ。
もうだから、本来は議会が最もそういう場でなきゃならないので、議会の中でそのものもそうだけど、地方議会以外が主催する形で、地域の皆さんにだからずっと言ってるのは、議案は賛成反対あってもいいし、全会一致の賛成でも全会一致の反対でもいいけども、何で賛成した、何で反対したかってことをもっとオープンにして説明する場っていうのをできるたくさん作らないと。やっぱりさっき言った対立と分断の中にいる人たちは、今そんなこと言いたくない。俺たちは人の意見は聞きたくない、となる。
吉田
あれですよね多分、その1回でそういうのって成立しないから1回目は大体みんな好き勝手なこと言って、徐々にトーンが落ちてきて真ん中に集中していくんですよね。
白川
だからそこの意味でいうその民主主義の復元力っていうのは。時間もかかるし、大して成果もないなと思うけど、それ以外の方法でやっぱないんだよね。
吉田
うん、それはちょっと話違いますけど、去年の越谷市とこちら市の中小企業振興計画、各団体の代表が何人か、あと個人的な経営者が何人か、直接企業の経営に携わる方たちと、5回ぐらいお話をしたんですけど、初回はあれやってくれない、これやってくれないだったんですよ、文句がいっぱい出て。だけど、2回目3回目ぐらいからもう誰もやってほしいとか言わなくなったんですよね。あれはこんなに顕著に出るんだな、だからそこはもちろんファシリテーターが上手にね、あの課題を出し、目の前につけてきてくれたっていうのもあるんですけど。やっぱり何回も繰り返すってのは非常に大事なんだなというのは実感はしましたね。
白川
だから・・・そうそう今AIがさ、もうほとんど何でもやってくれる。
何でもやってくれるからいいかと思うと、実はAIができないのは問ができないんだよね、問ということは人間しかできないけど、だってAIはデータの集積と解析だこういう問いの仕方ってないんだからこそ人間しかなかったから、クリエイティブの創造の活動とか、人間同士の関係性の中で生まれている通りだから、
吉田
AIに対して問うことも非常に難しいんですよ。間違いなく伝えないといけない。だから、伝え、
白川
なんかね、なんなんだっけな、数学の方程式を解かせたらば間違っててって、間違っていると言ったら、大変申し上げませんって言って、言ったらまた間違ってって、なんじゃ方程式すら溶けないじゃないかってなったという話。
吉田
聞き方なんですよ。だから結局のところ質問力だなとはAIが、機械がわかるように質問をしてあげなきゃいけないってことは、つまり機械の特性を理解して、機械の思考回路を把握した上で、それに沿って聞いてあげないと駄目なので、人間に聞いているのと一緒なんですよね。結局のところは、それはそう思います。
白川
それはだからコミュニケーションとか人間力がなかったら一緒。だからAIができないところに仕事があるね。
吉田
そうなんです。ものすごく単純な、すごいくだらないことで言えば例えば6時に起こしてっていうふうにAIに言ったときに、6時にアラームと言ってうまくいかないときは例えば何時間後、って考えて、何十分タイマーって言い直す力がないと駄目。
白川
障害者雇用に似ている。対話するのって結構勉強になるんです。はい。そこのバケツに水を汲んでおいて、って言った場合、通常の感覚がわかったら入れとくいてくれるけど、そんなことを障害者に言ったって、いや、知らない障害じゃなくたって普通の人だって知らないとわかんない、そこが「そこ」ってどこのこと言っているわけて、水ってどれぐらいでっていうことも。だからそういうことをいちいち組み立てていく訓練は、やっぱり小さい頃からした方がいいと思うし、最後にものすごいまとめをすれば、問いの力というのは子育ては絶対これが必要です。子供に対して問う力っていうのは今非常に求められているものなので、子供をどういうふうに育てたいかっていうことを考えたときに、イエスノーではない、問のメッセージをどれだけ子供に出させるか。選択ではない。なんかみんなこれと、これとどれがいい?って聞くのが子供に意見を聞くことだと思っているから、そうじゃなくて、あなたはどうしたいのっていう選択肢がない状態から選択肢を作らせるっていうことを。
白川
大学で教授がテーマを何でもいいという、何でも?駄目ですよ、先生なんかでも与えてくださいと。だからそれを考えていくということじゃなく、先生を与えてくださいという話だそう。
吉田
だからやっぱりね、問う力というのは、どんな場面でも必要であって。
白川
人間であるという活動、社会を構成しているって意味では、それは最も重要なことだよね。
吉田
そうですね。うん。そういうことが問われてる。うん。だからそういうことやってると諦めなくなると思いますけどね。私はそう思いますけど。選択肢から選んでいく人生ってどっちかを諦めていく人生だから。
白川
だからそこの力が極端に落ちているからこそ、やっぱ暴力と差別と下品さに惹かれるんだね。
吉田
そうですよね、わかりやすいもん全然。全くわかりやすい。
白川
あと面倒くさいって言ってくるでしょう?面倒くさいって言って誰かにあげちゃえばいいわけじゃないでしょ。
吉田
すごいわかります。
白川
だからもっと仕事で何で働いて給料ももらいたいのかと。逆にまたお仕事人にあげて給料もらってるわけです。
吉田
でも、そういう方たちたくさんいらっしゃるじゃないですか。私達が選んだ人たちの中にも。
白川
たくさんあるんだよね、そうでないところが日本の衰退の原因が大きいよね。
吉田
かなと思いますけどね。名前は言いませんけどね。でも選んだのは私達ですからね。
白川
そういうことですいませんちょっと今日はあの、もうちょっとね差別と家族について話したかったんでちょっと時間がない。今日の機関紙の問題提起は、やり方や合意形成の取り方というのは同時にこれから起こってくる社会的な問題を、誰とどういう方法でどういう人たちとの合意をとっていくかっていうことが歴史的、国際的、時代的に大きく変化しているってことなので。
回答はないんですよ。ないんだけど実践知がなければ回答もないわけだから。それを世界的なレベルでも、グローバル的なレベルでも起こっているけど我々個々人の家族という最も社会の中で血が繋がっているっていう最もおそらく社会的に濃厚な関係のところに入っているっていう話、なんですよ。むしろそこから逆にそこから世界が見えるってことであります。だから、そういうことのために実は日本再生の感想と、受け止めてやっているので。白川先生は1人で喋りまくるのがいいということではないので、誤解ないようによろしくお願いしますということで、すいません次また533号10月1日をそのときは9月議会も終わっていますので、関連して話せることがあればお話をしたいと思いますが今日はこれで終わりたいと思います。
以上