日本再生第530号 リベラルな国際秩序と憲法の価値にコミットする 私たちはどんな社会を望むのか

23年7月3日感想と受けとめ(一部録音不調のため欠落)

国会が衆議院の解散が7月にあるのではと思われたが結局なく、一応終わった。第1パラグラフでは国会の総括をしていて、そこで何が問題かということが書いてある。二つ目のパラフラフはいわゆる人権という、価値がないし、それでは選挙に勝てないと言われたものを、女性を中心だが、そのことを自分の生き方として選挙で訴え、当選する人たちが、出てきている。

そのさざ波はどういうふうにできあがったかということ。三つ目に、歴史的転換期の上で守るべきアイデンテイティ、「私達は何者で、そしてどこに向かおうとしているのか」そして、その向かうべき規範とは何か。

さらには、これは地方自治という現場で、どのような地域を望むかということが、全体としてかかれている。そこで、国会の総括だが、機関紙にもいくつか書いてあるが、相当力技で国会の論議をさせない、論議なく簡単に成立させてしまうということが起こっている。

 国会で成立した法案の特徴とその審議過程と野党の存在とは

平成23年の通常国会で成立した法案、マイナンバー法に、自民党と公明党は賛成している。維新と国民民主党も賛成して立憲以外他のところは反対している。それから、健康保険法、後期高齢者の保険料が値上げになる。これも自公は賛成しており、国民民主党は賛成、維新は反対。それからエネルギー関連法案GX法、いわゆる原発の稼働を長くすること、これには自公は賛成、国民民主党と維新も賛成。入管法には維新と国民民主党が、自公を超える大修整を。

それからLGBT法も同様となっている。唯一すべての党が賛成したのは改正刑法。他に軍事産業支援法。いわゆる武器輸出をするという。これも維新と国民民主党は賛成だが、立憲民主党も賛成している。少しこれは立憲内で議論があったようだが、何故立憲が賛成したのかはよくわからない。

それから財源確保法。これは機関紙にも書かれているが、これは自公だけが賛成して維新と国民民主党以下、立憲も含めて反対となった。予算案は、これは関連しているので自公はもちろん賛成。最後の岸田内閣不信任決議案は、年中行事のように毎回やっても仕方がないという批判がずっとあるが、(出しても否決されるのが分かっているから)あるいは、岸田総理や自民党は、出したらそれを理由に、解散に打って出るという、とても国際的な立憲主義の憲法では考えられないことを主張している。

なぜかというと出しても否決するのだ。否決するということは政府が信任されたという事なので、何故解散に結び付くのかがわからない。憲法規定の9条解散という、粛々と否決すればいいことで、一般的には、不信任決議案が可決した場合は、その内閣が総辞職するか、解散するかと選択になるのに、野党が不信任案を提出したことが何故か大儀だと自民党は言っている。
 これは憲法上の解釈の問題であって、9条解散という判断だが、イギリスはかつてこれがあったがその後解散権を首相が独断で実行するのは出来ない用に改正した。

だから解散は不信任が可決されたときに起こっている。更にこれまたよくわからないのは、れいわが棄権したということだ。

そのときの政府に対する評価を棄権するということが起こったので、議論をしないということも含めて、いわゆる野党の中にも、LGBT法案など、完全に元々自民党案が出していた、あってもなくてもどうでも良いような内容だったものを”あってはまずい”ように、維新と国民民主党の案がそのまま入ってしまった。

これは非常に特徴的なことで、このようなことは、かつてはなかった。

以上が総括となるが、入管法について、入管法は政府案が出されていた。内閣法との対案は、立憲と社民と共産党とれいわとそれから参議院の会派で提出した。

これを含めて対案は二つ出された。焦点は難民認定の主体をどこにするかということだが、政府案は法務大臣や入管庁としているところを、対案は第三者機関としている。その他、相当違いがあって、特に強制送還や刑罰のところで、申請に関して2回申請をしてもダメだった場合、3回目を申請しても、本国に返しますということになっている。ここは相当大きな問題になっている。

国連から何度も日本の難民行政については1999年からで20年以上、勧告されている。なぜなら日本は協定に調印しているから。判子を押した国が、難民が来たときに、現状入管法はさらに悪くなったが、その前も虐待など、相当めちゃくちゃだった。

まず1998年の10月19日に勧告があった。自由権規約委員会による総括所見という、これは、国連の側がなんと言ったかというと、「委員会は調査および救済のため、警察および出入国管理当局による不適切な処遇に対する申し立てを行うことができる、独立した当局が“存在しない”ことに懸念を有する。」

つまり先述のように、難民が申請をしても入管で(審査を)やる。「民間のそのような独立した機関、または当局が、締結国により、遅滞なく設置されることを勧告する」。と書かれている。

それから、2008年の10月30には、庇護申請者でこの庇護というのは難民の方です。「庇護申請者を拷問や他の虐待の危険のある国にむけ送還することを明示的に禁止する」ため、つまり、殺されるかもわからない、虐待するかもわからない国に戻すことを禁止するため、出入国管理および難民認定法を改正することを検討する。」

つまり、現状そのようになってないから改正しなさいと。庇護申請者が申請の否定的な決定につき不服申し立てを行う場合、帰れと問われて帰りたくないというふうに言ったとき、行政手続きの結論が出た後、直ちに送還“されないように”すべきだと言われているのである。

2001年には委員会は、本条約第5条B6法に基づき、「何びとも各人の生命や健康が危険にさらされることを信ずるに足りる十分な理由がある国、つまり帰ったら殺されることが分かっている国に、強制的に送還されることを確保することを要請する。」つまり送還してはいけないということも言われている。

(マイク不具合により中断)

 普段の戦いを抜きにした人権問題と歴史から検証される人権とは

機関紙にも書かれているが、人権というものは戦い取らないと。人権はもちろん生まれた瞬間から人は持っているが、その後社会に適応させていくときには戦わなければならない。戦いが高揚すると、カウンターで向こうからも、もうどんどん起こってくる。アメリカも、Blac kLives Matterという動きがでたら、今度はWhite Lives Matterと、白人もそうだと言ってくる状態である。

アメリカはさすがに同性婚に関して最高裁判所が、トランプ派が多かったので、結構やられているが、州では、最初に標的になったのは、女性を自認する男性が起こしたのだが、当然アメリカは通用しない。

今何が起こっているかというとアメリカは、標的にしているのはスポーツ選手。性転換したスポーツ選手が出てきたら、全部女性のメダルが取れないじゃないかっていう。だから運動の標的はここ。

全部スローガンは「女性を守るために」「子供を守るために」ということであって、これは日本でも起きている。平成27年に性同一性障害の(障害者というくくり)の経産省の職員が、戸籍上男性であることを理由に、女性トイレの使用を制限されたのは差別として提訴。使用期限について地裁は違法、最高裁は合憲となった。

令和3年、札幌市の書店の女性トイレに男が正当な理由なく侵入し、現行犯逮捕。男は、「戸籍上は男だが気持ちは女性だから入った」と発言。アメリカも、平成17年マサチューセッツの小学校で子供に同性愛や、同性婚を要望する教育を受けさせることを望まなかった。こどもにそんなことをさせないでくれと学校に居残り、不法侵入で逮捕された。令和3年、米最高裁はトランスジェンダーの学生自身が認識する性別のトイレを使わせなかったという教育委員会の行為は、違法とする判決を下した。

というように、結構アメリカでもこういうのがあって決して何とかすんなりいっているわけではない。先ほど記した、「戦わなければならない」ということ。

自民党に支援を受けている神道政治連盟が、これももう報道されたが、「夫婦別姓 同性婚 パートナーシップ LGBT ―家族と社会に関わる諸問題―」というパンフレットを国会議員に配った。何と同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく、後天的な精神の障害、または依存症だと。

トランスジェンダーははっきりと病気ではない。国際医学会でも発表されているが、病気ではないのに、「これは、ギャンブル依存症の人がたくさん儲けたときの効用を忘れられずに、抜け出せないのと同じなんです」と。

またこれも、なんでギャンブル依存症と同性婚が一緒なのか。ギャンブルは嗜好であり、確かに依存であるが、同性婚は全く関係のない先天的なもの。病気でもなければ何か熱中したらそっちに我を忘れるとか、そういう話ではない。

これが公然と会議で配られている。何を目的とするかというと、問題は、彼らにとっては女性の権利を守るという大義ではなく、トランスジェンダーの脅威という妄想をあおり、リベラルの台頭を阻止するというのが第1の、かつ唯一の目的で、動いている。政治的目的を発揮している。

だから必ず政治と結びついてその資金集めが関係する。病気だと言われてその人には電気ショック療法とやって治療すると公然とやってきた。ものすごい電気量を体に流す。麻痺させるみたいな。そういうシーンを見せられたら吐き気をもよおすくらいまで。というような歴史がある。

実はウクライナもゲイは認められていない。ハンガリーやポーランドもそう。ウクライナから国外に逃げて入ろうとしたら追い返されるということを繰り返されている。つまり、常にそういうふうに国際的にも、そんなにすんなりいっているわけではない。

だがそういう状況でも、6月18日は、「ヘイトスピーチと闘う国際デー」だった。そのとき、アントニオ・グテーレス国連事務総長が、「言葉は武器となり、残酷さと暴力につながることもあるのです。ヘイトスピーチは、あらゆる人々にとって危険であり、それと闘うことは、私達全員の義務です」というコメントを出している。

さらにメッセージがあって、「私達はヘイトスピーチを前にして、決して無力なわけではありません。その危険性に対する認識を高め、あらゆる形のヘイトスピーチを阻止し、終わらせるために取り組むことは可能であり、またそうしなければなりません」というふうに言っている。
(https://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/48147/)

入管法とLGBTに関係して、歴史に向き合うべきだということが機関紙に何度も出てきているということだ。

「こんにちの人権はこうした歴史の蓄積の上にある、だからこそその人を戦うために、歴史を知ること、歴史への敬意が必要。そのためにも歴史を知ること、歴史的に考えることが必要になるはずだ。また、過去の出来事を知ることで、今を生きる上で何が大切と考えるということであるなど。

その歴史と向き合うというのは、吉田先生は「歴史とは歴史家と事実の間の相互作用の不断の過程である。現在と過去との尽きることのない、対話であります。」と言われている。何年何月何があったということを知るのは最低限のことだけれど、それでは歴史を知っているということにはならない。前回、日本全国の在日の皆さんは朝鮮から10万人近く強制もあるし、正規の理由でということもあるけれど、わたってきている。ほとんどは劣悪な環境で過ごされた。

それで群馬の森の話を前回したが、その後もう少し勉強をして分かったことがある。群馬の森では小高い丘があって、木々が沢山ある。小高い丘の間にトンネルがある。何があったかというと陸軍の火薬工場があって、ダイナマイトをつくっていた。近くには中島飛行所もあって、だから、事故で時々バーンと爆発するから、それを防ぐように赤松とか、クロマツ、杉などを植えていた。雑木林だとふき飛ばされるから。

そこで働いていた人たちが、あまりに劣悪だから逃げ出す。その逃げ出した人たちを含めて慰霊のための碑がつくられたということ。(これは前回話したことであるが。)

それから北海道の幌内というところ。北海道にも沢山炭鉱があって、九州もそうだが、朝鮮の皆さんをそこに炭鉱夫として、働かせていた。特に北海道は夕張、連行された朝鮮人は北炭夕張に1万4000人。北炭平和に約5000人。三菱大夕張に約4000人、夕張地域が2万人を超える方々が使役していた。

当然そこは劣悪な条件なので、そこで死んだり、殺されたりというのがあって、そこには、そして北海道だけでなく全国には追悼の碑がある。幌内というところには、今でもダムがある。ダムを作るために、いわゆるタコ部屋があった。

それから済州島4.3犠牲者慰霊と大阪の統国寺。朝鮮戦争が終わったぐらいの時期に軍事政権ができる。戦争が終わっているから、北朝鮮のパルチザンの影響があるということがあったが、共産党の息がかかっている人たちも蜂起もするのだけれど、ものすごく虐待された。軍隊とか、やくざとか、警察とかを導入して8万人殺された。そこから逃げ出した人もいて、日本にもいる。もう見境なく殺されたと。対抗して北朝鮮側も見境なく殺したので、まったくわからない状態で亡くなった人たちがたくさんいた。

それでその人たちの碑が大阪の天王寺区にある。これ映画があって、「スープとイデオロギー」といって2021年に発表された記録映画で、私は観たが、「スープとイデオロギー」も掲載している京都の宇治市に、「ウトロ平和祈念館」というのがある。ウトロ?何故アイヌが京都にあるのかとおもったが、実はウトロは日本語の略語で、アイヌ語ではない。

しかしこれも同じことで、京都に軍部が飛行場を作ろうとしていたらしく、そこに派遣された人たちが、同じことだが、逃げ出して殺されると。その平和祈念館を宇治市に作っているのだが、そこに当時の写真等が展示してある。

ここのウトロ地区が先般放火される事件が起こっていて、犯人は所謂在日への差別意識にあおられて実行した日本の青年だった。

さっき言った北海道と同様だが、朝鮮人の住居となったところが放火された、要するにみんなそうだけど、炭鉱があったり工場があったりしたところは朝鮮の人がたくさんいる。それが終わった、例えばタコ部屋だったところが終わって住居になるみたいなところが沢山あるわけだが、当然決してそんなところは住環境がよくない。

だけど皆そこに住む。貧乏だから、助け合ってというのもあるけれど、差別も続く。北海道にも同じように、あちこちその碑があるが、群馬と同じようにその碑を、追悼の碑をどんどんどんどん、撤去する動きある。

これは沖縄でも起きているし、広島長崎の被爆の証人が、もう80歳くらいで証言をしようとする人のところに脅しがはいったりしている。なんで証言をするのかのだと。言われた方はもう怖くなるから、だんだん証明しなくなる。それ結構考えられないことだが、今もそういうふうにして、潰していく、碑をそしてなくすというのはつまり、歴史の事実を「なかったことにする」ということだ。

これが最初は別に行政が最初に何かするわけじゃない。碑への抗議をうわーっと言われて、行政はそれではできないと明確に反論出来ない、さらにしつこく抗議されて結局混乱するとい名分で、撤去や中止をしてしまう。

名古屋の「表現の不自由展」も同じ。バーっとあって抗いきれなくてやめるということをあちこちやっているが、実は埼玉県でも同じことが行われている。

埼玉県は朝鮮学校、埼玉朝鮮学校への補助金を、上田知事のときに停止した。朝鮮学校というのは法律的には各種学校の位置づけで、各種学校というのは自動車学校と同じだから、教えてはいけないということはないが、普通の高校とか中学ではない。

しかし朝鮮の人たちは学びたいということがあるから、差し止めになった、要するに補助金がまだあったのだけども、最初埼玉県は補助金を出さない理由に何て言ったかっていうと学校の資金繰りがうまくいってないので出せないという理由だった。

元々朝鮮の人たちがこれを作っている。そういう経営は大変なわけだが、それを理由に上田知事は補助金を出さないと。財政がちゃんとしていないからと。そのためその後実は8000万を学校に貸してくれる人がいて、朝鮮の人だと思うけれど。

それでもやはり、財政がちゃんとしないと言ったのだけども、散々、散々交渉してきて、それはもう何とか県の方がやはり財政問題ではないですねと言ったのだけれど、今度は当時北朝鮮からテポドンを打たれて、テポドンを打ってきているので、それを理由に出せないと県側は言ってきた。

テポドンと朝鮮の子供たちと何も関係ないのだけれど、それを理由に、未だに上田知事の時に止まって、今大野知事に引きつがられている状態にある。

子供のことは人種差別撤廃条約に抵触することは明確だ。明らかに朝鮮人だからと言っているわけだから。全然もう国際規約違反のことをやっているわけだが、あえて言うと大野知事も引き継いで、県議会の一般質問で、ちょっとどうなってるのですかっというふうに議員から一般質問があった。

これに対して大野知事は、「埼玉朝鮮学校の補助金についてあります。埼玉朝鮮学園の私立学校運営費補助金については、平成22年から不交付としており、平成25年度以降は予算計上を見送っております。令和2年度についても予算の計上はいたしておりません。埼玉朝鮮学園の補助金再開を巡る動きや要望があることは、議員ご指摘の通りです。私は知事就任直前に、埼玉朝鮮学園を訪問し、保護者の方とお話をいたしました。

本来子供たちの教育と政治的な問題が関係はないと考えます。しかしながら、国の就学支援金裁判において、朝鮮総連の朝鮮学校への影響力や、朝鮮総連と朝鮮学校との関係性についての懸念が示されています。国は、裁判において、朝鮮総連と朝鮮学校との関係性が教育基本法で禁じる不当な支配に当たらないことの、十分な確証を得られないと主張しています。全国5ヶ所で行われている裁判では、国の主張がいずれも認められており、東京大阪の裁判では最高裁判所での国の勝訴が確定しています。また、平成24年3月の予算特別委員会における拉致問題等に解決されるまで、予算の執行は留保すべきである。という県民の代表である県議会による付帯決議がございます。令和2年度予算についても、このような状況を踏まえ、補助金を支給する関係はないと判断し、予算を計上したところでございます。」と。

我々埼玉県民のところでこれが起こっていると。大野知事には大野知事の立場があるのだろうが、本当にそれでいいのか。という問いがなされなければ、人権問題というのは先に進まないということになる。

維新の政治と戦前の翼賛体制に向かう形成過程の酷似

本当は歴史のところで、朝日新聞の7月1日土曜日の「異論のススメ」米国の正義実現へ前提となる力の行使 広島で捉えた奇妙さ

(https://digital.asahi.com/articles/DA3S15675655.html?pn=2&unlock=1#continuehere)佐伯圭さんという、保守の論客の方。

さっき言った日本人とは何かということを研究されている方の話を参考までに。また、資料集の24「戦前左派と日本維新の会 井上」簡単に言うと、戦前政友会と民政党が競って社会大衆党というのは非常に小さい勢力だったのだが、日中戦争の不安の状況になって見えるとか226事件などが起こった時、軍隊が陸軍パンフレット事件というもの、毎日新聞オピニオンで「戦前左派と日本維新の会 危機の時代の第3党」(井上寿一の近代史の扉:危機の時代の第3党 戦前左派と日本維新の会 | 毎日新聞 (mainichi.jp))というところ。

要するに陸軍省新聞班のパンフレット、国防の本義とその評価の提唱 国防はそれまでいわゆる国を守るという枠にあったのだが、もっとその社会保障とか経済とか、雇用ということを全部入れてやるべきだっていうふうに出した。

それは狭義国防論から広義国防論ということになるが、それを社会大衆党は正しいと言って指示して飛躍的に伸びた。もしかするともう少し時間があれば政権党になったかもわからないのだけども、社会大衆党を大きく躍進させた有権者は、国際危機下における軍拡を容認しつつも、議会政治の攻防や格差是正の社会政策を期待したのだろうということで、当時躍進した社会大衆党は、政友会、民政党の連立に協力して、政党内閣を復活させるよりも、自党の伸張による清朝への対抗を選択した。だから、日本維新の会が同じことをやるのではないかと心配していると。

一方野党もそのような空気感ということをよくわかってやらないと、同じことが起きますよと。最近このような意見が多い。ちょうどあの当時に似ているという空気感。

だから、あえて言うと、維新八策のところで、維新八策2022年は、「積極防衛能力」の構築を目指して、防衛費の国内総生産の2%への増額や憲法第9条の改正をかけている。他方で、身を切る政治改革だけでなく、税、社会保障、労働市場の改革を通して、経済成長と格差解消の実現と多様性を支える社会政策の実証を提言している。日本維新の会は社会大衆党と酷似する政治的な役割になっている。

 映画「怪物」から学ぶLGBTQへの希望社会を希薄化する映画産業

話は変わるが、「怪物」という映画の話で終わりにしたい。これはクィア・パルム (La Queer Palm)賞を受賞しているのだが、このクィア・パルム賞とは何なのか、ほとんど皆さんは知らない。そのように宣伝しないから、何か賞をもらったとみんな知っているのだけれど、これは性的マイノリティやフェミニストの登場人物、またそれに関わる人や事柄を描く長編短編作品のみならず、家父長的なジェンダー規範への異議申し立てを試みる作品に与える賞である。

あえて言うと大変面白い映画であるが、そのシナリオは脚本賞をもらったのだが、是枝監督はLGBTQの映画じゃないというよう発言している。そのことはあえて強調しない。

思春期の少年の揺らぎみたいなことを描いたのだというように言う。それは実はLGBTQということに向き合ってないということなのだが、なぜ是枝監督がそうなったかということで、映画「怪物」はなぜ性的マイノリティを描きながら、不可視化したのか、見えないようにしたのか。映画制作の構造を、構造的な問題を考えるという久保裕さんという人が書いている。

一つは是枝監督がドキュメンタリー監督なので、ドキュメンタリーは少ない予算で、地方の映画館で上映されるような、そこからなっていった人なので、メジャーな、映画を作るときにどういう立ち位置が必要なのかということがあるし、映画は総合芸術だから、いろんな人のサジェスチョンがあって演出が変わるということもあるだろう。

ただし、これは北村雄二さんも言っているが、いい作品なのだけど、あの最後の場面で、少年二人が太陽に向かって走る場面の映画解説を見るとわかるが、一つはもう2人は死んでいて、2人が死んで、天国でLGBTのゲイとして幸せになっていくという解釈と。

そうではなく、彼らは生きていて、現実の中に2人で歩んでいくということを描いているのだという二つの解釈がある。しかしこの二つの解釈ではない、といっている。

常に、LGBTQは死なないと(ダメ)あるいは神に祈る、あるいは次の世代に託すみたいなことでなければ、自分たちの存在が次に繋がらないという描かれ方をずっとしてきたと。

そうじゃない。そうじゃないだから、LGBTにとって希望の映画にしなくてはいけないというわけで、実際に映画の中のセリフが出てくる。ワーッと台風が去った後に、宇宙の終焉というように少年たちが言っているのだが、列車が吹き飛んだりしているので、宇宙の終焉なのかなと聞くと、違うと。主人公の少年の一人が変わってしまったのだろうかと聞くともう一人の主人公の少年が、いや何も変わってないんだと返答する。

つまり現実に生きているということを言っているので、死んだという解釈がとれない。明らかにそれはもちろん思春期のゆらぎではあるけど、そのLGBT、ゲイとしての揺らぎを描いているわけで、そこが大きく欠落している。非常にいい映画なので、みんなぜひ見てもらいたい。

受けとめを聞いての対話

吉田
そうですね最後の第3パラグラフのところがちょっと、ちょっとね、

白川
本当はそこが吉田徹先生のこともちょっと話さなければいけなかったのですがそこがすいません、時間切れになってしまって。

吉田
ですね。守るべきアイデンテイティとはというところが、今のお話を伺っていてもですね、私の感想としては一体どういう国にしたいのかなっていうのがちょっとわからない。もちろんLGBTを否定し、外国人を否定し、伝統家父長制を取る日本ってどういう国なのかなというのは、私は全然想像がつかない。今までもそうだったのかと。
別にそうではなかったと思うんですけどね。だからそれを完全に法的に整備していった結果どういう社会を、この今回の機関紙とかここずっと連続して「我々はどういう社会を望むのか」という話をしてますけども一体どういう社会にしたいのかというよりはこれを通す、要するに今の現行の人たちのその顔色をうかがって、力関係で顔色をうかがって伺って、やった結果、どういう国になるのかなというのがちょっとわからないの。

白川
抽象的に書いてあるのはリベラルな国際秩序、基本的人権の尊重、民主主義、法の支配の三位一体という国家。

吉田
でもそうじゃないでしょう?

白川
それを目指すことだからね

吉田
それを目指したら伝統的家父長制になるんですか?

白川
いや違うリベラルな国際秩序我々が目指すべき

吉田
それはそうです。

白川
それを、これを我々が地域でできるかどうかなんです。

吉田
それはそうなんです。彼らはこういうふうにした結果何のどんな国になると思ってるのかなと思うわけですよ。

白川
それはそもそも戦前の家族制度だよ。

吉田
うーん・・だから感覚的には、この機関誌にあるように今だけ、自分だけ金だけということを、場当たり的に誰かの顔色を伺いつつ、こういう法律を作ってた結果、戦前の日本には戻らないと思うんですけどね。

白川
そんな日本に戻らないよ。もちろん全然戻るはずがない

吉田
でもいうのはそこを目指すっていうじゃないですか。

白川
それ以外の規範がないからね。そういうモデルはない。(吉田:そうですね)もうちょっとね、佐伯先生が言ってんだけど、ヨーロッパもアメリカもそうなんだけどキリスト教だ、ユダヤ教だっていう宗教的な背景が常にあると。これは吉田先生の感情と精神論なんだけど、常にそこ、神によって救われるという、その規範でずっとやってきてるんだよ。

その規範の上における平和ということになるから、平和を作る日本人は、何て言うかな。生命尊重主義、日本の生命、つまり殺さなきゃいいということ。生命尊重主義をずっとやってきた。アメリカは、平和を維持するためには軍隊が必要だ。つまりね、目的のための軍事力の行使でさえありうる。平和とは戦争のない状態ではなく、戦争のない状態を作り出すための戦争でもあった。これがアメリカの正義。だからアメリカはそのリベラルな価値に対して対抗としてもちろん、プーチンの方もロシア正教がずっとあって。

ところがね、日本はだからその敗戦国のも関わらず、先進国にも入って、曲がりなりにもさ、民主主義をやってきた。だけど日本人の持っている一神教ではないのよ。

吉田
日本にないですよね

白川
ないのよ。一神教がない国に一体平和とは何かが問われているっていうふうに先生は言っている。日本文化の内にある伝統的自然感や、神観念という思考の祖型に平和の意識を改めて求めることもできるのではないだろうか。

しかし、それは近代憲法の発想とは異なったものであり、こんにちの憲法9条の平和主義とは全く違っているはずだ。我々は日本独自の平和論はまだ持ち得ていないのではないだろうか、と。

吉田
なんかこう日本で平和っていうのを考えると私はもう縄文時代まで戻っちゃうような感覚、神とともにいるってそういう感覚。

白川
だから自然というのを「じねん」というのはそうだから日本はあらゆるところに神がいるから、キリスト教とは違い、救われるっていうことじゃないわけ。生かされているっていうことをね、常に。だからそこにおけるリベラリズムの民主主義とかいうことをどういうふうに融合させていくか、だから日本的民主主義ということになる。

吉田
なるほど。一応、一応今回の機関紙で、私ども埼玉政経セミナーはですね、きちんと我々が望む社会というのを書いてます。

白川
本当だよな。

吉田
本当ですよ。はい、書いてますよ。「政治は自分たちの生活そのものであり、それぞれの立場から生活政治に関わることは、社会を構成する者としての責任であるという認識を一人一人が持つような社会を私達は望みます」と政経セミナーを書いてます。

白川
そこまではいいんだけど、体現するやつがいない。

吉田
そうなんです、望んでるだけなんです。これはだから市民がやらなきゃいけないことなんだっていう

白川
それを体現したやつが1人もいないって言うのはどういうことだ。

吉田
市民の力不足だと。思いましたが、なんかずっと我々はどういう社会を望むのかなと思ったときに、少なくとも、私達がいつも話し合っている社会というのは、この謎の政府の今ずっと説明をされた矢継ぎ早で全く議論がされないで勝手に決まっていくこれらの法制度に関して、の延長上に私達が望む社会があると思わないなというのが今回の感想ですが。

白川
ちょっと時間がなかったから言わなかったけど北海道の炭鉱で働いたりした人たちがいて、逃げ出してね、多分皆さん捕まって逆さづりにされて火に焼かれたりするわけだ。

それでも何とか逃げ出す人がいるんだよね。そうすっと、山小屋みたいなところに逃げて炭焼きをやってるところに逃げ込んで助かった人もいるわけ。炭焼きやっている人が誰かっていうとこれ実はアイヌの人たちなんです。土人法もあって。沖縄もそうなんだけど。アイヌの人と朝鮮の人と結婚して子供ができて、そのお孫さんが今40歳ぐらい何とかさんって芸術家らしいけれど、アイヌ文化復活させようとしているからお祭りがあって、なんかね、願い事を書いた紙をくべて、煙になってあがっていく儀式。その様子を観に行って、その場のいたアイヌと話してたらさ。

うちのおじいちゃんは日本名を金尾(?)さんていうのだけれど。あんたは金尾の孫かって言われた。そんときにやっぱりそのアイヌと琉球と在日朝鮮人ね。全てさっき言った社会的少数派として歴史の中で産業の構造の中で組み込まれていく。血であがなわれていく。だから常に差別されているからもう昨日ちょっと話したでしょ。辺野古とか高江に行くのは、沖縄は一度も認められていなから差別されているその気持ちはわかるからっていうここの感覚がやっぱ少しないと。我々が目指すべきっていくら言ってもさ、いくら言ってもピンとこない人たちばっかし。

吉田
だから何となく今の話は確かにピントこないピンとくるというか話として理解をしても、心情としてピンとやっぱり来ない。それはそうではない(自分がアイヌや琉球や在日ではない)からだけど、この機関紙に書いてあるような、LGBT法案の審議過程で、女性を守ると称するトランスヘイトに対してフェミニズムの側が歴史を踏まえて反論しトランスと連携を連帯を表明したようにって書いてありますけど。

なんかねこの感覚はわかるような気がするんです。やっぱり女性を守るということをLGBTその理解促進法案の反対理由にされたっていうことは、一見女性にとってものすごくなんだろう、守られている、女性のためにこの法案は通さないんだとか、反対なんだっていうふうに一見あなたのためだからと言われてるような気がするんですけど。徹底的に女性を利用してるし、非常に馬鹿にしてる話だよなと私は思うので。

白川
風呂とトイレの話がしょっちゅう出るんだけどね、そのだって外見上ガタイのいい女の人がいたりさ、眉毛の濃い人がいたりしてさ、起こすわけだよね。そもそもLGBTの人っていうのは世田谷にすごく優秀な地方議員がいて、議員条例を作るくらい。それでもトイレに行くときって女子トイレよ、誰もいないのかなってすごく気遣うんだって。そういう風にひっそりと生きているわけよ、ひっそりと。

そういう人が風呂に入っていくということになれば、結局弱いLGBTの人と弱い女性の人が、分断されていくことになるわけですね。本当は弱いんだから、相互連携お互いそうなるわけだよね。弱い立場。だから、自民党がやってるのは常に分断をしていくっていう、しかもその理由はさっき言ったのと同じことなんだよね、あの戦争とき、平和維持のためというのと同じ。

吉田
いやだからLGBTをその差別するという差別されているということを見て、それは女性も差別されてるんだということを、同時に女性も差別されてるんだってことに、女性は気がつかないといけないんですよ。だからそんな何言ってんのっていうふうに女性が言わないとトイレはあ?っていうのは女性が言わないといけないんですよ。

白川
だからそもそも、言ってたよ、トランスジェンダーて全体の0.1%しかいないと。ひっそり生きてる人がいてね、そりゃいるよ、犯罪者みたいなやつが。いないとはいわない。

吉田
別に関係なくいます

白川
そんなのLGBTと関係ないことだからそれ。

吉田
反対に言えば、私は心は男性なんですと言って女性が男性のお風呂に入ることは何で言わないんですかっていう話なんですよ。なんで言わないんですか。それだって、おかしいでしょう。ていう話にはないんですよね。

白川
なんないし、現実そういう人いないよね。

吉田
少なくとも男性も、心は女性ですと言ってお風呂に入ってくる人いないと思いますけどね。聞いたことないですね。結構長く生きてますけど。だから、男性、女性のお風呂のことを言うならば同じことは男性のお風呂にも関係するわけで、それはなぜ女性だけが守られなければいけない存在なのか。とは思いますけどね。

あの男性だって相当女の人が1人で裸で入ってたらショックだと思いますよ。びっくりっていうのはちょっと笑い話にはならないはずなんですけど、そこは言われない。だからさっき言ったように、同時に女性も差別されてるということはやっぱり気がつくべきだと思うんですよね。

白川
そのトイレと風呂の話がそのLGBTを作る時、法的事実っていうのは何か恥ずかしくて言えないよね、

吉田
言えないですよ。だから本当にね、同じことを反対に言えばお風呂の話になれば、前もちょっと言いましたけど、結局のところ、小学校に上がる、上がったら男の子は女風呂に入れられないわけですよ、入っちゃいけないの混浴禁止だから

白川
つい、つい約100何年前は一緒にはいってたじゃない

吉田
そうだけど、母親の立場からしたら小学校一年生の男の子を1人で男風呂に入れるっていうのはある意味そういう意味では恐怖ですよ。犯罪はありますからね、

白川
あれ。一年生も駄目なの?

吉田
前は3年生くらいだったけど今大体お風呂は就学前って書かれてますよね。だからそしたらその家族は、例えばお父さんとお母さんはいつも一緒にいて、男の子と女の子で4人家族最低4人でお風呂に行ける家庭は日帰り温泉だろうがなんだろうが行けますけど

白川
その若干心配なのはさ、お父さんが女の子を連れて男湯に入るっていうのは若干心配だね。

吉田
いや同じですよ、それは。それは同じ。

白川
お母さんが男の子を連れて入るって同じかな。

吉田
同じですよ、感覚そこは犯罪っていうふうに考えたら同じです。感覚的には。

白川
そっか、男の方がなんかなんかそういう何て言うかな、男は守られてるからさ。女の人は一般的に虐待、虐げられているからさ。男湯に女の子を連れてきたときの男の反応っていうのは若干心配だね。

吉田
多分同じ。私は同じように男の子を連れてきて女湯に入ってきても心配は心配です。感覚的にはね、親としてはそうですよ。私は両方子供男の子女の子もいるから、両方嫌ですね。

白川
中野さんって言ってたな。イギリスでは絶対させませんて。

吉田
絶対させないと思うんです。だから、そういうふうに言ったら、子供のことだって考えなきゃいけないし、いろんなことを考えなきゃいけないはずなのに、取り立てて女性のお風呂とトイレの話をするというのがまずおかしい。やっぱりそこは強く感じますね。ここがやっと、そのアイヌのことはわからなくても、ここだったらギリギリが共感できる。こっからスタートだったらできるかなっていう気はします。どっかそういうふうに自分の生活に密着してるところがないと確かに難しいのは難しいんですけどこれとアイヌや辺野古の問題は一緒だという感覚を持たないといけないということですよね?

白川
感覚っていうかいやだから言ったけど、知らなすぎるんだって、あんまりね、あまりに知らなすぎるんだって。歴史人と対話とかそんなレベルじゃないわけよ。何年に何があったって知らないでしょ

吉田
そうですねなとくに現代史を習わない、近現代史はほとんど習わないですね。

白川
なんていうか、議論の俎上の共通点が全くないわけよ。だからそういう意味で言えばね、だからその旅行に行く。よく言ってたけど旅行に行くとハワイなんかもそうだけどさ。

激戦地が観光地いっぱいある。なんか左っかわの人は何で行くんだというけれど、私は遊び行ってもいいと思う。遊びに行った上で見に行けばいいよね。(吉田:うん、うん、そうですね)そういう感覚で日本のアイヌとか沖縄とか調査の人たちのところの周りに行けばいいわけよ。あそこウトロに行ばよかったと。

吉田
ちょっと次京都に行ったときかな、

白川
行けばいいと。地区を調べるとわかるよ、綺麗な3階建ての建物よ。

吉田
はい見たいと思います。うんなんかそうですね、わかっている人が増えれば一番いいんだけど、わかっている人が違うところのときにその話を持ってくればいいのかな。っていう気がしますね。

白川
それは人によって違うのかわからんけどやっぱりね、現場を見たりその現場の人の話を聞いたりすれば、何か感じるはず。いやいや、それヘイトを感じるやつもいるかもわかんないけどだから、だから駄目だ、それをウトロで公開したやつはそういう流布されて、信じ込んで、見つけたんだね。

吉田
うん、そうですね今ちょっと調べてもいっぱい出てきますね。動画もたくさん出てきてるみたい。はい。ちょっと、次京都にいたときは行っておけと思いました。

明日なんと明日ですね(7/5)読者会という、もう超強行スケジュールでボーンと大変なんですが、明日7時から、埼玉読者会4月の読者会を開催いたしますのでまたそのことについては、改めてですね。自立した主権者のニュースでお知らせするってことをお知らせして今日は以上としますありがとうございました。

以上

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