ルマガ♯がんばろう、日本!         №300(23.8.1)

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Index 

□ 民主主義のイノベーションのための〝小さなさざ波〟を、どう発展させるか

●「危機の時代の第三党」から考える~民主主義の復元力のための課題

●民主主義のための闘いの〝小さなさざ波〟を、どう発展させるか

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民主主義のイノベーションのための〝小さなさざ波〟を、どう発展させるか

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【「危機の時代の第三党」から考える~民主主義の復元力のための課題】

日本維新の会の馬場代表はネット番組で、「共産党は日本からなくなったらいい政党」と発言。これに対して共産党の小池書記局長は、「他の党の政策について批判する権利はどの党にもある。しかし、存在そのものを否定するのは民主主義を根本から否定する暴論」と述べて発言の撤回を求めたが、馬場氏は拒否。

馬場氏の発言に対しては公明党の北側副代表も会見で、「共産党という政党、政策、考え方は私どもと全然違うが、違うからといってなくなっていいとは私は思っていない。やはり多様な意見があるのが政治の世界で、いかに合意形成を作っていくかというのがまさしく政治の大事な役割ではないか」(朝日デジタル7/27)と述べた。

憲法43条は、国会は「全国民を代表する選挙された議員」によって構成されるとしている。国会に一定の議席を持つ政党の存在を否定することは、選挙を通じて付託した国民を否定することにほかならず、まさに民主主義の否定である。

問題はそこにとどまらない。民主主義の機能不全がさまざまに指摘されている今日、問われているのは、民主主義の復元力や民主主義のイノベーションにむけた「次の一歩」にほかならない。

多様な意見や少数派の意見、異論に対して、合意形成ではなく「なくなったほうがいい」というのは、「数で決着つける」という多数決民主主義の次元の民主主義観だろう。そこからは権威主義や専制政治と地続きであるという状況は、今や世界各国で見られている。

その際の「多数」とは(ナチスのような)熱狂的な「一強」というより、相対的多数vs多弱といえるような状況だ。

例えば政権が推し進める「司法改革」によって三権分立が侵されると、半年以上にわたって国民の抗議行動が続いているイスラエルについて、小熊英二・慶應大学教授は次のように指摘する。

「(イスラエルは)現代における民主主義の危機を考えるうえでは、知るべきことの多い国である。・・・ネタニヤフは・・・岩盤支持層を中心に相対多数を確保し、「民主主義」や「政治主導」の名目で、各種のルールやチェック機能を骨抜きにする。それを批判する側は、意見が分かれてまとまらない。近年、いろいろな国で見る風景だ。そしてそれは、イスラエル特有の事情も混じっているとはいえ、現代の民主主義の危機を抱えるどこの国にとっても無縁なことではない」(朝日デジタル7/26 コメント)。

日本では有権者の半数が棄権(投票率50パーセント)、しかも野党がバラバラというなかでは、与党にとっては合意形成に手間ひまをかけるより「岩盤支持層を中心に相対多数を確保」するほうが、選挙戦略としては合理的だ。こうして与野党問わず、民意を集約する政党の機能は低下し続け、多様な民意のなかから合意を形成するという政治の役割はさらに脆弱になった。

欧米では、既存の政党への人々の不満をすくいあげる形でポピュリスト政治家が台頭しているが、彼らの政権参画を阻止する民意も根強い。日本では既存政治に集約されない民意は「政治不信」として表出され、政治的変化には結びつかない。こうしたなかで、既存政党を批判し「改革」を標榜する第三党として維新が台頭しているという構図だろう。

ここで歴史を振り返ってみたい。

井上寿一・学習院大学教授は、5月20日毎日新聞で「戦前左派と日本維新の会 危機の時代の第3党」と題して、以下のような趣旨を述べている。

満州事変(1931)、5.15事件(1932)にみられる軍部の台頭に対して、当時の二大政党である民政党と政友会は軍部批判の立場をとる。一方、軍部が掲げる「広義国防」「昭和維新」を支持する社会大衆党は1936年の総選挙で「政民連合か社会大衆党か」と迫って躍進する。(「広義国防」とは国防のためには軍備だけではなく、国民生活の安定や農山漁村の更生、さらには資本主義の変革を求める考え方。)日中戦争が勃発した1937年の総選挙で社会大衆党は第三党となるものの、1941年には大政翼賛会が結成され政党は解散する(共産党はすでに非合法化/編集部)。

「社会大衆党を大きく躍進させた有権者は、国際危機下における軍拡を容認しつつも、議会政治の改革や格差是正の社会政策を期待したのだろう。そうだとすれば、有権者の意識は当時も今も変わらない。日本維新の会だけでなく、同党を批判するリベラル勢力もこのような有権者の意識を見誤らないようにすべきである。

社会大衆党は、政民連合に協力して政党内閣を復活させるよりも、自党の伸長による政民への対抗を選択した。日本維新の会は、自民党との大連立と自党の伸長に伴う野党の再編のどちらを選択するのか」(「井上寿一の近代史の扉」)。

当時と今とでは環境は大きく異なるから、「新しい戦前」と短絡的にとらえるべきではないが、井上氏の指摘は歴史的な教訓として重いものがある。そしてそれは政党の課題であるだけでなく、私たち主権者の課題でもある。

【民主主義のための闘いの〝小さなさざ波〟を、どう発展させるか】

有権者の意識を見誤らない。そのためには私たちの声を聞かせるために、もっと声をあげ続けなければならない。

コロナ禍では、誰もが〝いのちとくらし〟の当事者となった。それまでは「自己責任」「自分で何とかするべき問題」とされていたことが「社会の問題」「政治の問題」と意識され、それまで黙っていた人たちも声をあげるようになった。その経験からは、政治に対する新たな評価も生まれてくるだろう。今年の統一地方選に見られた女性候補の活躍や、概して女性の投票率が男性より高いことなどは、〝小さなさざ波〟だが一過性の変化ではないはずだ。

そこからは「動けば、社会は変わる」という確信も生まれてくる。「どうせ声を上げても変わらないと信じていたのは、思い込みであることを知った。私はこれからも「わたしたちが生きている社会はわたしたちがつくっている」と、自信を持って言える社会をつくる一部であり続けたい」(能條桃子 世界8月号)のように。

あるいは入管法改悪やLGBT「理解増進」法では、問題の当事者だけでなく、連帯する行動が法案成立後も各地でのスタンディングや支援などの形で続いている。「自分が直接困る問題ではないけれど、知った以上は見て見ぬふりはできない」というところからは、それまで「無知」でいられた構造を問う当事者意識も生まれてくる。

「このいま起こってる、入管だったり、この国が抱えてる差別や暴力の問題の当事者って誰なんでしょうか? 当事者じゃない人っているんでしょうか?・・・この問題を起こしてるのはなにも、宇宙からやってきた謎の組織じゃないんです。我々が参加した選挙で選ばれた、俺たちの代理人であり代表である人間たちが進めている問題です。だから俺たちが止めなければいけない。そういう責任があると思って……。

いま僕は37歳で、両親も日本人で、結婚して子どももいる。要するに超一般的な、特権性を持つマジョリティー男性なんですけど、こういう僕みたいな人間に責任があると思ってます」(高橋一さん・ミュージシャンの国会前スピーチより 朝日デジタル6/30)。

ここには人権は多数派の思いやりではなく、国籍や性別、出自などに関わらず、この社会に生きる誰もが人間として扱われるという普遍的な権利であり、政府にはそれを実現する義務があること、そしてそれは時には闘い取らなければならないこと――その長い歴史の列に加わろうという社会的連帯の意志が垣間見える。

またこうした社会運動に対して、社会的弱者の支援活動には何かウラがあるはずだ、利益なしに他人を支援するはずはないという「今だけ、カネだけ、自分だけ」という社会観からのバッシングが顕在化する一方で、理由なく見知らぬ人を助けることが普通だという社会にしたいよね、という意志も見え始めている。 

人権民主主義の〝小さなさざ波〟を、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という社会観の基盤に亀裂を入れるところへと発展させていけるだろうか。さらにここから、複雑で多様に分化された社会のなかでの合意形成を図っていくための、社会的連帯の土台を築くことができるだろうか。

 今回の地方選では、「政治」の意味が微妙に変わりつつあることが伺える。例えば社会や政治の問題に声を上げて行動しているZ世代の動き、あるいは今回の地方選の特徴のひとつである女性の反応など。こうした変化はまだ〝小さなさざ波〟だが、それによって自公が議席や得票を減らすという変化が、一部では顕在化している(自公は東京で16万票、47議席減らしている)。これをどう発展させていけるか。

言い換えると、民主主義は単なる多数決ではなく合意形成のプロセス、といってきたころからの民主主義観の変化(例えば2019年第九回大会)が、より実践的に、あるいは生活実感や人格形成に埋め込まれたものになってきているということ。これは憲法の価値――基本的人権、国民主権、平和主義プラス地方自治――にコミットする、ということでもある。

民主主義を多数派の既得権とみなしてきた旧い民主主義観では、こうした民主主義の新しい変化に対して自己防衛になる。〝小さなさざ波〟に対して、「世の中、そんなに簡単に変わるもんじゃない」、「いろいろ言っても、与党にならなければ何もできない」など。要するに政治屋、サラリーマンの「できない」言い訳の論理だ。そして衰退局面では、これが転換のための最大の妨害物になる。(ジェンダー平等、エネルギー・産業構造転換などが、なぜ進まないのか。一例として18-20面 諸富教授のインタビュー参照。)

「実際に政策を変えるためには与党でなければ」という「現実主義」は、しかしこう反論されている。「社会を変革していくには物語、思想が必要であり、それは政党の理念と切り離せないはずだ。政治家になる人が利益と相乗りする形で自民党へ入党していった先に、理念や目的設定が軽視され、人々から切り離された政治が生まれる。それが政治への無関心の根源のように見える」(能條 前出)。
 「新しい酒は新しい皮袋に」という格言がある。民主主義の新しい酒は、時代の変化や社会の変化に応答できなくなった旧い皮袋ではなく、新たな皮袋に入れなければならない。民主主義の新たな皮袋をつくる民主主義のイノベーションを。

(「日本再生」 531号一面より)

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第214回 東京・戸田代表を囲む会

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「異次元?の少子化対策」

8月3日(木)  18時30分から21時

ゲストスピーカー 山田昌弘・中央大学教授 

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

参加費  同人1000円 購読会員2000円

岸田政権の「目玉」のひとつ、異次元の少子化対策について、「日本の少子化対策はなぜ失敗し続けているのか」という視点を踏まえての評価を。

山田先生のキャラはご存じのとおりですが、内容は「硬派」です。 参照:528号インタビュー

◆オンライン参加の申し込みは下記より◆

無題のフォーム – Google フォーム

締め切り 8月2日 18時まで

8月2日18時以降に、申し込みのあったアドレスにZOOMのアクセス先をお送りします。

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第15回 総会

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8月19日(土) 13時から17時

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

*オンライン参加については後日ご案内

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第43回「戸田代表を囲む会in京都」

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「脱炭素社会への公正な移行(仮)」

ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学大学院教授

9月7日(木) 18時30分より

キャンパスプラザ京都・第一会議室

会費2,000円(学生1,000円)

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おすすめを少々・・・

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●国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、国軍に抵抗する人々の姿や、自由を奪われた苦悩を描いた

映画『ミャンマー・ダイアリーズ』 (myanmar-diaries.com)

映画を制作したミャンマー人監督の1人がオンライン取材に応じ、「抵抗を示す人々の勇気ある姿を見て、ミャンマーで起きていることを知ってもらいたい」と語った。

ミャンマー人ら制作の映画が公開 監督「抵抗する人の勇気、見て」:朝日新聞デジタル (asahi.com)

ポレポレ東中野で8月5日より。順次各地で公開予定

ポレポレ東中野:オフィシャルサイト (pole2.co.jp)

●「トランスジェンダー入門」

「知っているつもり」の人こそ読んでほしい本 – 集英社新書プラス (shueisha.co.jp)

片山さつき議員のような「気持ち悪い」は論外ですが、知らない→怖い、不安という多数派の「感情」が差別に向かわないためには、まずは「知る」こと、「知らない」ことを自覚することだろうと思います。

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