メルマガ♯がんばろう、日本!         №291(22.10.31)

「がんばろう、日本!」国民協議会

がんばろう!日本!! 国民協議会

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Index 

□ 自己責任・無責任連鎖から、責任の民主化というフォロワーシップへの転換を

●民主主義の明日はどっちだ

●旧統一教会問題から問う、私たちの人権民主主義とは

●〝いのちとくらし〟を支える私たちの自治のために 統一地方選にむけて

□ 総会【会員限定】のお知らせ 

□ 望年会のお知らせ

□ 囲む会(東京・京都)【会員限定】のお知らせ

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ほぼ3年ぶりに、「囲む会」を再開します! 

来年の統一地方選に向けて、「総会」以降、問題設定や行動指針を絞っていきたいと思います。

ぜひ、ご参加を。

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自己責任・無責任連鎖から、責任の民主化というフォロワーシップへの転換を

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【民主主義の明日はどっちだ】

「政治責任」という言葉が死語になったといってもいいくらい、「政治には無責任がつきものだ」ということが、今や「大人の常識」になりつつある。

しかし、考えてみたい。政治責任を問うことができない社会、政治責任を問うことをあきらめるしかない社会とは、どんな社会なのか。

中国共産党大会直前の北京で「PCR検査は要らない、ご飯を食べさせてくれ」「奴隷になりたくない、国民になりたい」などのスローガンが書かれた巨大な垂れ幕が陸橋に掲げられた。情報統制が敷かれた中国国内ではこの事件はほとんど知られていないし、これを行った人物はすぐに特定され、厳しい処罰を受けるだろう。

翻って私たち。コロナ感染による死者はすでに4万4千人超、その過半(2万6千人超)は岸田政権下でのものだ(9月末時点)。そしてコロナ対策や物価対策で、お金やクーポンが支給されるたびに繰り返される「中抜き」の数々。私たちは〝いのちとくらし〟に対する無為無策、無責任に対して「鈍感」になりすぎてはいないか。

「民主主義に関するさまざまな価値や評価が、コロナ禍によって揺らいだのも事実だ。・・・明らかなのは、あらゆる政治体制のうち、コロナ対応の是非を私たちが判断できるのは民主主義だけだという事実である。民主主義は政治責任を問うことができる。この優位さを自ら捨てるような処置や選択は、かなり愚かしいというべきだろう」(「政治責任 民主主義とのつき合い方」鵜飼健史 岩波新書)。

確かに現状において私たちが政治責任を問うことができる政治体制は、民主主義だけだろう。だからこそ政治責任を問うということは、責任を「誰かのせい」にして、それをすげ替えれば無責任の体系が変わる、というほど「他人任せ」なことではない。

「先ほど、政治家の無責任は私たちの問題だと言った。しかしそれは、私たちが問題のある政治家を選んだという意味(だけ)ではない。無責任が発生しているのであれば、私たちがそれに対処する責任を投げかけられるという意味においてである。政治家を不満に思う私たちが、現実を(権力で)変えられないと発想する俗流リアリズムに染まっていないだろうか。たしかに政治家は無責任かもしれないが、私たちは自ら責任を取ることを拒絶していないだろうか」(前出)。

政治が責任をとるべき事柄は多数あるにもかかわらず、とるべき責任が看過され続けるという無責任連鎖は、目の前に山ほどある。では主権者として、それにどう対処するのか。そのことが私たちに投げかけられている。

「誰かのせい」にして、民主主義を「他人任せ」で終わらせるのか。「言ってもしょうがない」「自分で何とかするしかない」(今だけ、自分だけ)と、民主主義をあきらめるのか。「あなたも私も主権者ですよね、自分事として考えましょう」という「責任の民主化」への小さな一歩を踏み出すか(偉大な一人の百歩より、百人の凡人の一歩。)

民主主義の明日はどっちだ。

【統一教会問題から問う、私たちの人権民主主義とは】

旧統一教会と自民党との癒着は、底なしの様相を呈している。山際大臣は辞任したものの、旧統一教会の被害者救済に関わる消費者庁の大串副大臣、国交省・豊田副大臣、防衛省・井野副大臣、外務省・山田副大臣、木原官房副長官などに、旧統一教会との新たな接点が次々と明らかになっている。

「宗教法人、被害者救済、日韓トンネル(国交省)、防衛安保など、教団との付き合いが職務に関わる副大臣は少なくとも辞めてもらうしかないが、関係が発覚するたびに政務三役を更迭していたらキリがない。まったく関係を持っていない人を探すのが大変なほどです。それだけ自民党と旧統一教会の関係は深く、もはや一体化しています」(法政大学名誉教授・五十嵐仁氏 日刊ゲンダイデジタル 10/28)。

教団との付き合いが職務にかかわる副大臣を辞任させるのは、任命者である首相の当然の責任だ。同時に山際大臣の辞任も教団に対する質問権の行使も、内閣不支持率の高止まりという世論=無責任内閣に対する私たちの反応=に押されたから、という意味では、引き続き個々の事態に繰り返し反応するという私たちの行動も試される。教団の支援を受ける政治家(担当副大臣!)による被害者救済などということが平然と行われるのを、私たちは黙ってみているのか、ということでもある。

こうした一次的な政治責任に加えて、「誰かのせい」で終わらせて民主主義を「他人任せ」にしないためにも、さらにいくつかのことを考えてみたい。

例えば、旧統一教会の宗教法人解散問題。多くの専門家が指摘しているように、これを「政治と宗教」「信教の自由」に問題を一般化すべきではない。解散は宗教法人としての優遇措置を取り消すということであり、宗教活動を禁じるものではない。

「団体の解散制度を取り入れたフランスでも、対象となるのは、刑法・公衆衛生法・消費法で定められた特定の罪に該当する行為をしたことによって「心理的・身体的な隷属」をもたらす団体に限られています。

 特定の「団体そのもの」が悪いのかどうかということではなく、その団体が取っている行動について、「法を逸脱する行為があったときには取り締まる」ようにする。団体の教義や特殊性に着目して判断するのではなく、個別の行為に着目するべきなのです」(大石眞・京都大学名誉教授 10/22 朝日新聞デジタル)。

自民党のなかには、信教の自由を理由に旧統一教会の解散に慎重な向きもあるという。しかし被害者の弁護団をはじめ専門家は、質問権行使の結果を待たなくても現在の(法令違反の)状況で解散命令は出せるとしている。

人権保障を真剣に考える民主主義はどっちだ。

「宗教2世」の問題では人権が端的に問われる。

安倍氏を銃撃した山上容疑者の苦悩は筆舌に尽くしがたいが、それが「家族の問題」「自分で何とかしなければならないこと」とされ、社会のサポートがなにひとつ及ばなかったことは、私たちの問題ではないか。

塚田穂高・上越教育大学准教授は次のように指摘している(東洋経済オンライン 8/30)。

「「宗教2世」問題を「問題ある親の元で育ったかわいそうな子」といったような単なる個別の親子関係の問題で済ませてはいけません。この論理は時に教団側の言い分として使われることすらあります。~中略~熱心な信仰者に育ったら教団のおかげ、教団の望む道をはずれたら家族や個人のせいで「地獄行き」などというのは、公共的・社会的存在としての教団の責任ある態度とはとても言えないでしょう」。

「また「宗教」だけの問題にしない視点も必要です。スピリチュアルな思想と実践に関わる親(医療拒否などのケースも)、「陰謀論」にハマる親、レイシズムにハマる親などの場合です。組織性などの面で新宗教と違いはありますが、問題の構図は重なっています。その意味では、特定の「宗教」に入っていないとしても、誰もが出会いうる問題だという理解が必要ではないでしょうか」。

「社会全体でのこの問題への理解推進が必要です。周囲が2世の置かれている状況を理解することで救われる面もあります。例えば、2世にとって学校生活が窮屈なことがあります。疎外感が強く、いじめにつながることもあります。そんななかで理解や配慮がある教員や友人の存在はどれだけ心強いでしょう。

この点は学校空間だけに限られません。教団外社会もそんなに悪くない、捨てたものではないと「思わせる」こと。これは「当事者」ではないわれわれにもできることではないでしょうか。

子どもの人権や育ち(ケア)を社会として責任を持って保障していくのか、家族や家庭に責任を負わせるのか、どちらが人権民主主義にふさわしいのか。これも私たちの民主主義の問題だろう。

国が家庭教育の基本方針を定める「家庭教育支援法」の制定を求める意見書が、全国各地の地方議会で可決されている。家庭教育は、旧統一教会が重視する。意見書を可決した自治体が最も多い熊本県では、教団の友好団体の幹部を務めている男性が立ち上げた団体が、意見書を求める請願の提出者になっていたという。

 

 この問題を報じた朝日新聞デジタル版(10/10)で、末冨芳・日本大学教授は次のようにコメントしている。

「確かに親の子どもへの責任は重要です。その責任の遂行には孤立した育児や、多額の家計教育費負担、子育てに冷たい社会といった厳しい現状をふまえ、いかに親を支えるかについて政治責任、行政責任の遂行をしなくてはなりません。そうでなければ、家庭教育支援条例だけ作って親たちを息苦しくさせて終わり、になります。家庭への支援のために所得制限のない教育・医療無償化や、無料で質の高い産前産後ケアなど、熊本県の蒲島知事が責任を果たしているかというと、疑問です。 熊本県議会議員のみなさんも責任遂行されていますか?」

自治体行政や自治体議会に対する、私たちの目線も試されるのではないか。家庭教育支援条例のうさん臭さをつついて終わりなのか、子どもの育ちを社会で保障する責任を果たすように検証していくのか。人権民主主義をどのように具体化していくか、それが自治の現場でも問われているだろう。

【〝いのちとくらし〟を支える私たちの自治のために 統一地方選にむけて】

 来春は各地で統一地方選を迎える。任期の四年間のうち三年はコロナ禍の下、〝いのちとくらし〟の観点から機能する自治とは何かを問うものだった。何をどう検証し、どんな教訓を持って統一地方選を迎えるか。しっかりと準備していかなければならない。公衆衛生や医療体制、社会保障や生活保障、地域経済、子どもたちの学びなど、生活に直結している自治だからこそ、国の言うまま・思考停止の自治体/議会なのか、自律的に考え協働する自治体/議会なのかが、きわめて実践的に問われてきたはずだ。

 

 例えば問題になっている東京都立高校入試への英語スピーキングテストの活用問題。詳細は竹井・都議会議員の「一灯照隅」を読んでいただきたいが、ざっくり言えば、本来は学力を測る私企業のテストを、都立高校の入試として活用することにしたことで、入試として成立しえないような問題点が続出している、にもかかわらずそれが強行されようとしているということだ。ある英語教育専門家は記者会見で、「スピーキングの問題でもスピーキングテストの問題でもなく、英語の問題ですらない、入試制度の不公平さの問題です」と断じている。

 

 2019年に見送りとなった大学入学共通テストの「英語民間試験の活用」よりも、入試制度としての破綻が深刻とされるテストの入試への活用が、なぜ強行されるのか。大内裕和・武蔵大学教授は、その背景に公教育の私的簒奪があると指摘する(「世界」11月号)。

「(都立高入試へのスピーキングテスト導入は)教育における新自由主義の第二段階を示している。臨教審から一九九〇年だい以降の新自由主義改革は、『公教育の縮小』によって公教育の外側の存在であった私企業の市場を拡大することとなった。・・・それに対し近年は、これまで公教育の外側にあった私企業が、入試を突破口として公教育に入り込もうとしている。これは公教育そのものの民営化・私企業化と呼べるだろう」。

 「同時に、公教育の側にもそれを求める事情があることを見なければならない。長年の新自由主義改革によって予算を削減され、余裕を失っている公教育の現場は、私企業に頼らざるを得ない状況がつくられているからだ」。

(浜・東京都教育長はインタビューで、都立高入試のスピーキングテストの民間委託について)「これだけの規模の試験をやるマンパワーがないからです。先生の負担を考えると、自前でやるのは現実的ではありません。個人情報を扱う業務を民間事業者に委託するは、一般的なこと。これまで他の仕事も民間に任せてきました」。

私企業のテストを公立高校の入試に活用することの是非とともに、こうした公教育のあり方も問うべきだろう。新自由主義改革の下、公教育もサービスの提供・消費という観点から見られがちだったが、コロナ禍で改めてそのあり方が問われてきたのではないか。

「これら(さまざまな教育支援策―引用者)が実現したのは運動や政治の力に加えて、それを支持する社会層が急速に増加していることがその背景にある。一九九〇年代以降、新自由主義改革による貧困層の増加と中間層の解体によって、教育費を私費で負担することが困難な人々が急増し、彼らの多くが公教育予算の増額による私費負担の軽減を強く望んでいるのである。・・・それは『公教育の再生』に期待する社会層の登場を意味している」(大内 前出)。

自己責任が支配的になった社会では多くのことが個人の選択の結果とされ、政治責任を問われる領域は狭められる。一方コロナ禍で少なくない人々が、個人の責任ではどうにもならないことに直面し、社会の問題であり政治の責任が問われるはずだと思い、声を上げるようにもなった。こうした変化を、「政治には無責任がつきものだ」という無責任連鎖からの転換として、持続化し集積していくか。

「選挙に出るというような話ではなく、日常生活で感じるちょっとした不正や違和感、世の中の不条理、そうした感覚を大事にして、それを公共的なものにつなげていくというあたりのことが、私たちの政治責任ではないかと思っているところです。

読めば読むほど政治責任がとらえにくくなる、という感想が出てくる本になってしまっているところは、著者としても自覚しているのですが、逆に言うと、今言ったような普通の日常的な実践をすることが政治責任であって、何か特別なことをしなければいけないということではない、というあたりがこの本のメッセージになるのかもしれません」(11面 鵜飼先生インタビュー)。

「日常生活で感じるちょっとした不正や違和感、世の中の不条理、そうした感覚を大事にして、それを公共的なものにつなげていく」ことができる場、ワイワイガヤガヤと言い合うなかから「私たちの望む社会像」を共同で形成していくような関係性をつくりだしていきたいものだ。統一地方選(に限らず)にむけた準備も、その一環となるように取り組もう。

責任の民主化への転換を媒介する主権者運動の波を。

(「日本再生」522号 一面より)

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総会【会員限定】のお知らせ

「がんばろう、日本!」国民協議会 第12回総会【会員限定】を行います。

11月6日(日) 13時から17時

ZOOMにて 要事前登録

申し込みは、11月4日までに ishizu@ganbarou-nippon.ne.jpまで

11月5日午後、申し込みのあったアドレスにZOOMのURLを送ります。

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□ 望年会のお知らせ

◆関西 望年会

 12月16日(金) 18時から21時

 東華菜館 古き良き伝統 京都の東華菜館 (tohkasaikan.com)

ゲストスピーカー 川勝健志・京都府立大学教授 (専門 地域経済、公共交通)

会費 8000円

申し込み  杉原 sugihara@s5.dion.ne.jp まで

◆東京 望年会

 12月18日(日) 16時から19時

 「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所 + オンライン

 会費 1500円(予定 オンラインは無料)

 申し込み  詳細は後日お知らせします【準備の関係上、事前申し込みになります】

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囲む会(東京・京都)のお知らせ

●東京 第208回・戸田代表を囲む会

12月4日(日) 13時30分から17時30分

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

ゲストスピーカー 岡田知弘・京都橘大学教授

「私たちの地方自治 自治体を主権者のものに」

同人 1000円  購読会員 2000円 【40名程度。基本的に事前申し込み】

*ZOOM参加(無料)も検討中。

●京都 第40回・戸田代表を囲む会in京都

2023年1月13日(金) 18時30分から21時

キャンパスプラザ5階「演習室」

ゲストスピーカー 岡田知弘・京都橘大学教授

「自治と経済」(仮)

会費 1000円

申し込みは sugihara@s5.dion.ne.jp  

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おすすめの本

上記、岡田先生の著書

「私たちの地方自治 自治体を主権者のものに」(自治体研究社)

特価 1200円

「そもそも地方自治とは何か」から、「自治体戦略2040構想」や、自治体を主権者のものに取り戻す取り組みなど、地方自治と民主主義について、講演をもとに高校生にも分かりやすくまとめたもの。

岡田先生のご厚意で、定価1430円のところ、1200円で。