一心太助の天秤棒_2018年4月-45

PDFファイル⇒18年 4月天秤棒駅頭45

今夜会えてよかったが続く、夜の駅頭
昨日は、夜駅立ちを、せんげん台駅西口で午後7時から午前0時まで、5時間で実施した。
午後8時頃、馴染みの中年女性が階段を下りて来られて、私の前で暫くバックに中を探しておられた。そして1000円札を出して、朝の時間帯はせわしなく、渡せないので、と話された。ありがとうございます、助かります、とお礼を述べた。
その後、自民党会派の伊藤市議が、降りて来られたので、挨拶をした。その後9時30分過ぎに再び戻って来られて、大変だね、こちらは飲み会だった、と帰って行かれた。
更に公明党の守屋市議にお会いしたが、4月26日に開催する大相撲越谷場所の関係者で、モンゴルの外交関係者が友達で、そのパーティーの帰り、との事だった。
更に、越谷市教育長が、降りてこられ、更に刷新クラブの武藤市議にもお会いした。
駅立ちを通して、これ程多くの方に集中して出会った事はなく、それぞれ別の要件を済ましての帰宅だっただけに、偶然が重なるとはこの様な事なのだろう。
午後9時頃、旧知の高齢男性が、階段を下りて来られて、またのし袋で1000円のカンパを頂いた。
ありがとうございます、とお礼を述べた後、こののし袋は、どなたかに渡すためにバックに入れておられるのですか、と尋ねた。
すると以前カンパを頂いた記事を掲載した、一心太助の天秤棒をバックから、取り出しながら、いいえ、先生(この呼ばれ方は苦手だが)に渡すためですよ、との返事だった。
朝の時間帯では、午前5時9分の始発電車で通勤しているので、持ち歩いていて、今日会えてよかった、と付言された。
(前回頂いたのは、この始発時間前であり、私はせんげん台駅西口に到着して、街宣用具を準備している最中だった)
また、馴染みの佐賀銀行員の方が同僚の方と降りて来られて、先生に報告があります、と切り出された。
実は、本年4月27日付で、佐賀銀行本社に転勤になりますとの事。
越谷市には、かれこれ20年余り住んでいますで、また戻って来ます、とも。
今日ここで先生に会えて本当のよかった、と。
そして、毎回カンパ(月に2回)を頂いている事に関して、佐賀に転居しても、定期的にカンパをしますから、と申し出て頂いた。
越谷市を離れても、私への支援を続けて行きます、との気持ちに触れて満ち足りた気分になった。
更に、埼玉県立大学を卒業して3年がたち理学療法士をしている女性にお会いした。
以前ツィッターで、励ましのメールを頂き、その内ゆっくりと話しましょう、と返事をしていた。何時も午前7時過ぎに市政レポートを受け取って読んでいて、駅前の情景が良くわかる。他の議員のものは殆ど読まないが、と話し、今日この時間に会えてよかった、と。
今は認知症の患者さんを治療する部署に変わったが、ますます高齢者の治療が増えて来ており、病院や施設だけでは解決出来ない問題となっている、と話された。
暫くして、馴染みの女性が、笑顔で降りて来られて、お菓子を2個頂いた。袋には、「宮古島の海のやさしさつめて 雪塩ふぃなん」と記されていた。
宮古島からの観光土産なのか、誰からか貰われたのか、は不明だが、後日コーヒーと共に美味しく食べさせてもらった。
午前0時過ぎまで、まだまだ電車からは、多くの通勤客が降りてくる中、長時間労働が常態化している現実を何とか変えたい、との思いが
つのりながら、頭上の月を見上げて終了した。
(4月27日)

まず、自分が変わらなければ
昨朝の駅立ちは、北越谷駅西口で午前7時前から開始した。直ぐに高齢の3人連れの女性が、演台前に設置している看板を見て話かけられた。看板には、変えたい、変わろう、変えよう、と書かれていたが、女性の一人の方が、変わんないよねーと話したのに続いて、隣の女性がそうよねー、応じた。
底が抜けた様な、政府の公文書改ざん問題を巡る国会対応に出た言葉だと思い、そうですね、でもまず自分が変わらなければ、回りも変わらないし、社会も変わらないではないですか、と応じた。
すると、自分が変わるねー、うーんとの表情に変わった。また別の女性が、この人(私の事)、一人で大袋駅でいつもやっている人よ、と話された。3人とも納得したような顔つきになり、頑張って下さい、と言いながら笑顔で去って行かれた。午前8時30分過ぎに終了して、直ぐに電車で新越谷駅に向かった。
午前10時から、サンシティ越谷市民ホールで開催された第58回越谷地区メーデーに来賓として出席するためだ。
新越谷駅を降りて直ぐに朝食を取るため、駅構内のパン店でモーニンングを注文したが、なんと290円で、コーヒー1杯と食パンの食べ放題のサービスだった。(お得なモーニングだ)
パンを数切れ食べた後、来賓あいさつの原稿づくりに着手した。恐らく挨拶の時間は5分以内(昨年も参加したが、この程度だった)のため、色々話したいことはあるのだが、中々まとまらないまま時間が過ぎて、完成しないまま会場に向かった。
(労働組合の方が集まる集会なので、労働組合とは全く関係のない私が話せる、唯一の機会がこのメーデーなので)
来賓あいさつは、越谷市議会の自治みらいを代表したもので、同じ会派の辻議員や山田議員を紹介まずして挨拶した。(他にも立憲民主党や共産党の議員も参加されていたが、保守系無所属は私だけだ)
冒頭、北越谷駅での朝の駅頭での会話を紹介した。(この部分は全くその場で思いついたが。つまり、まず自分自身に変わろうとする意志がなければ、社会も人生も変わらない事を強調したかった)
 次に平成デモクラシーと言われる失われた20年とも30年とも言われているが、多くのものを失ってしまった。
特に安倍政権の5年間で、近代国家の最低の条件である政府機能が崩壊してしまった。(公文書改ざん問題等)
しかし、得たものも多い。
それは3年前までは立憲主義と言う言葉さえ、皆さん知らなかったことを知り、護憲や改憲以前の本質的憲法の常識が広がっていった。
また安保法制反対の全国的な運動を通して、これまで野党の議員は、支持されている労働組合や団体に個別のあいさつに行くことはあったが、市民集会で野党の責任者が揃ってあいさつをする様になったことは、戦後初めてのことであり、選挙での統一候補の応援までに発展したことは注目すべきことだ。
憲法改正問題が大きなテーマになっているが、憲法条文を変えるのか、変えないのかに終始して来ている。
しかし日本国憲法は世界的に見ても、条文は非常に少ないのが特徴であり、法治主義によって法律や政令によって肉付けをして来た経緯があり、これら全体の体系を憲法と位置づけている。
立憲主義とは憲法が国家の権力行使を縛ることに留まらず、権力を構成するのは国民自身であることが強く意識しなければならない。
この間、省庁再編や小選挙区制導入、政党助成金制度や官邸への権限集中など、統治機構改革が次々と実施され、これは、憲法改正に勝るとも劣らない改正となって来た。
だからこそ、これから国民主権で統治機構を作りこんで行くプロセスに参加して行く段階になった。立憲民主主義の視点から、この運動をはじましょう、と挨拶した。
その後、参加者全員で会場から、新越谷駅まで、「8時間労働を守ろう」と声を上げてデモ行進をした。         (5月2日)