メルマガ♯がんばろう、日本!         №274(21.6.1)

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「がんばろう、日本!」国民協議会

がんばろう!日本!! 国民協議会

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Index 

今を歴史の転換点に 今日の〝いのちとくらし〟人権民主主義のたたかいが、昨日の延長ではない明日をつく

●〝いのちとくらし〟のために機能する政府・機能する民主主義を

●人権や民主主義を内面化し、アップデートする

 ●価値観の転換を内面化・共有化するための場づくりにむけて 

~新しい酒は新しい革袋に

第九回大会第七回総会【会員限定】のお知らせ

在日ミャンマー人の若者が民主化支援のためにレストランをオープン

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今を歴史の転換点に 

今日の〝いのちとくらし〟人権民主主義のたたかいが、昨日の延長ではない明日をつくる

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【〝いのちとくらし〟のために機能する政府・機能する民主主義を】

いったいいつから、オリンピックは国民が犠牲を払ってでも開催しなければならないイベントになったのか。

今夏のオリ・パラは開催すべきではない、との世論が八割近くに及んでいるなか、IOC幹部は口をそろえて、緊急事態宣言が出されていても開催すると断言し、菅総理は国会で何を質問されても「安心安全な大会を」と、答弁拒否に等しい「答弁」を繰り返している。緊急事態宣言の再延長期間も、五輪開催とそれをてこにした政権の支持率回復・総選挙という計算から逆算された。官邸も自民党も、「開催さえすれば、世の中は五輪でどんどん盛り上がる」と。

私たちが目にしているのは、この国に生きる人々の〝いのちとくらし〟を守る能力はもとより、その意思さえ持たない政府、〝いのちとくらし〟を他人事としてしか語ろうとしない為政者の姿にほかならない。

こうした政治を前にして絶望とあきらめに屈するのか、生きるために声をあげるのか。多くの地方紙が5月に入ってから社説で開催に疑義を唱えるなか、信濃毎日は5月23日の社説で「中止を決断せよ」と、以下のように論じている。

「五輪開幕までに、感染状況が落ち着いたとしても、持てる資源は次の波への備えに充てなければならない。東京五輪・パラリンピックの両大会は中止すべきだ。

~中略~菅義偉政権は地域医療への影響を否定するけれど、医療従事者を集められるなら、不足する地域に派遣すべきではないのか。検査も満足に受けられない国民が『五輪選手は特権階級なのか』と憤るのも無理はない。東京大会組織委員会などは既に海外からの観客の受け入れを断念した。選手との交流事業や事前合宿を諦めた自治体も多い。各国から集う人々が互いに理解を深め、平和推進に貢献する五輪の意義はしぼみつつある」。

(信濃毎日に続いて「中止」を主張する地方紙が増え、5月26日には五輪スポンサーである朝日新聞も、「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」との社説を打ち出した。)

東大の研究者グループによるシミュレーションでは、大会中の海外からの選手や関係者などが直接の原因となって増える都内の1日の感染者数は、平均で15人程度にとどまるものの、大会期間中に応援に出かけたり、経済活動が活発になったりして人流が6パーセント増えたとすると、10月の第2週には1日の感染者数は1601人となり、五輪が行われなかった場合と比べて781人増えるという結果になった。

東京五輪開催で感染者数どう変化? 東大グループ試算 | NHKニュース
【NHK】東京五輪の開催による新型コロナウイルスの感染拡大への影響について東京大学の経済学者のグループがシミュレーションを行い、大…

都内の一日の感染者数1600人は、医療危機が叫ばれていた年初の数字である。菅政権の言う「安心安全な大会」とは誰の「安心安全」なのか、そのために犠牲を払うのは誰なのか、明らかではないか。七月の東京都議会議員選挙、そして秋までに行われる予定の総選挙は、まさに〝いのちとくらし〟のために一票を投じる機会にほかならない。

5月初旬、大阪府では人口100万人あたりの新型コロナ死者数がインドを超えるまでになった(インド16・5人、大阪府22・6人)。冬の感染拡大にむけて備えるべき昨年秋、コロナ対策よりも大阪市廃止を問う住民投票に注力した維新政治の帰結にほかならない。その維新は住民投票の結果に反する条例を可決、民意を尊重する意思はないことも明らかになった。

〝いのちとくらし〟を守るために機能する政府・自治体・民主主義なのか、機能しない政府・自治体・民主主義なのか、さらに言えば〝いのちとくらし〟を破壊する政府・自治体・民主主義なのかという視点が明確になりつつある。

「コロナ対策という『世界共通の指標』ができて、〝いのちとくらし〟というところから見ると日本の政府は機能していないと。台湾や中国は機能しているようだが、中国はデジタル専制で、台湾は民主主義をより機能させるためにデジタルテクノロジーを使おうとしている。トランプはめちゃくちゃだったが、どうやらアメリカも機能しているようだと。

『資本主義か社会主義か』とか『右か左か』ではなく、機能している政府、機能していない政府という評価軸が生活実感で分かる。さらに機能している政府でも、権威主義・専制なのか、そうでないのか。感染対策にデジタルを駆使することについても、監視社会化・権威主義を強めるのか、民主主義を破壊しない歯止めがあるのか、さらに言えば民主主義をアップデートしようとするのかという違いもあるようだと」(総会報告)

「機能する政府とは」、「機能する民主主義とは」ということが、生活実感として見えるようになってきた。ここから機能する政府・自治体をどうつくっていくのか、機能する民主主義をどうつくっていくのか。〝いのちとくらし〟に根ざした私たちの民主主義の生命力が試される。

【人権や民主主義を内面化し、アップデートする】

先の東大研究グループによるシミュレーションにもあるように、今夏の五輪開催を強行すれば、IOCの言う「いくらかの犠牲」を強いられるのは、大会期間中にやってくる選手や関係者よりも、ここに生きる私たちにほかならない。そこで試される民主主義の生命力は、生存のための闘いを排除的でない連帯として構築できるのか、ということではないか。

感染症は「人を選ばない」と言われるものの、感染リスクや経済的影響の深刻さは社会的格差を如実に反映している。さらに技能実習生をはじめとするこの国に生きる外国人は、より過酷な状況に置かれている。誰かを排除したまま「コロナに打ち勝つ」ことは不可能だ。だからこそ、〝いのちとくらし〟のために声をあげることから排除的でない連帯を紡ぎだしていくことができるか、が試される。

廃案となった入管法改正案。日本の入管収容および難民認定制度は、これまでも国連からたびたび問題を指摘され、今回の改正案も国際人権基準に則って見直すよう国連人権理事会が日本政府に求めていた。そうしたなかで名古屋出入国管理局に収容されたスリランカ人女性(ウィシュマさん)が亡くなる事件が起こり、人々が声をあげ、改正法案の審議のなかで野党も呼応して大きな議論に発展した。

入管問題に取り組んできた団体や市民が声をあげ、SNSで支援が広がり、大手メディアが追うなかで人々の共感を生んだのは、「誰かの人権が守られていない社会は、実は誰も人間扱いされていない社会です」(駒井知会弁護士)ということだろう。

「外国人の人権」という、他人事どころか冷たい視線で見られがちな問題(入管法改正案の議論のなかでも「不法滞在者」「犯罪者」という議論は少なくなかった)を、「私たちの人権でもある」ととらえる社会的な感性は、若い世代を中心に確実に生まれ始めている。

ウィシュマさんの姉妹は入管当局や法務大臣に対して、なぜ姉が大好きな国で亡くならなければならなかったのか、その真相を知りたいと訴えて続けている。その真っ直ぐな思い、人間としての心からの声を前に、改ざんや隠蔽を繰り返す入管や「一人の親として」と大臣の責任を逃げる上川法務大臣の、まさに本質があぶり出されているのではないか。そして私たちの人権、私たちの民主主義の生命力をどこに根ざして育んでいくのかも、明らかだろう。

偶然だが入管法改正案の廃案が決まった5月18日は、一年前、検察庁法改正案が見送りとなった日でもある。これもツイッターデモによる市民の声の高まりで、検察OBからも反対の声が上がり、野党も呼応して、当初は世論を軽視していた与党が見送りに追い込まれた。問題とされたのは、公務員の定年延長に潜り込ませた、モリ・カケをはじめ安倍政権の数々の疑惑を封じてきたとされる黒川検事長(当時)の定年延長。政権の恣意的な人事が三権分立を脅かすと問題視された。

黒川氏の定年延長はなくなったが、モリ・カケは終わったわけではない。文書改ざんを苦に命を絶った財務省職員の妻は、夫はなぜ死ななければならなかったのかと裁判に訴えた(再調査を求めるネット署名は過去最多を記録した)。これまで改ざん、隠蔽、答弁拒否や居直りを繰り返してきた財務省だが、この裁判でこれまでは存否さえ明らかにしなかった改ざんの経緯を記したとされる「赤木ファイル」の存在を認め、提出することとなった。誰が改ざんを命じたかなど、どこまで「黒塗り」されずに提出されるかが焦点だが、「夫はなぜ死ななければならなかったのか」という心からの訴えは、ウィシュマさんの姉妹の訴えにも通じるものがあるのではないか。

 人間の尊厳としての人権という価値観とそこから生まれる共感を、私たちの社会に内面化していく歩みをさらに続けていこう。

フランス憲法は前文で「1946年憲法で確認され、補完された、1789年宣言が定めた人権及び国民主権の原則…に対する愛着を厳粛に宣言する」とする一方、個別の人権条項は書かれていない。それは条項のあるなしで権利保障の有無が決まるのではなく、権利の担い手である人々の決意と実践によって権利保障は決まるのだという理念に立脚しているからだという(馬奈木厳太郎 「論座」2020/12/26)。

人権は「法律に書いてあるから」尊重されるのではなく、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去の幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」(憲法97条)であるからこそ、その多年の努力を内面化し、信託された価値をアップデートし続けなければならないのだ。(ちなみに自民党改憲案ではこの条文は全面削除。)

また人権という価値観を内面化しなければ、民主主義は統治の手段にすぎなくなる(選挙権威主義、非自由主義的民主主義など)。人権という価値観と両輪でこそ、参加を通じた自治の手段として民主主義を不断にアップデートする方向がみえてくる。「これは民主主義の問題だ」「これは人権の問題だ」ということを共有できる新たな言論空間の始まりだ。

「〝いのちとくらし〟の観点から、行政や政治、政党に対しても機能する・しないという基準を持つようになると、民主主義の観点から問題点を取り上げるということが地方議会、地方政治でも出てくる。

地方議会の『おかしな』話は、これまでも散々言われてきた。それらに対して『議会の常識は世間の非常識』で終わるのか、『これは民主主義の問題だ』という視点から取り組むのか。そういう主体分岐も始まっているということ。議会が機能していない、議会はここがおかしいと指摘するのみならず、議会を機能させるための小さき闘いとは、ということをオープンにし、共有する波を作り出していくことになる。…(「これは民主主義の問題だ」というところから)問題の取り上げ方や分析のしかたを共有することが必要であり、そのなかで理論の規律化や内面化―その論理で事態を見るということができるようになる」(総会報告)

【価値観の転換を内面化・共有化するための場づくりにむけて ~新しい酒は新しい革袋に】

「これは民主主義の問題だ」という問題の取り上げ方、伝え方は、民主主義は多数決だという民主主義観からは生まれない。民主主義は合意形成のプロセス―参加を通じた自治の手段だという民主主義観の転換から問題をとらえ、分析し、伝え、議論する。そしてそれを通じて価値観の転換を内面化、共有化していく。新たな言論空間―場づくりは、こうしたプロセスを繰り返しながら生み出されていく。

「新しい酒は新しい革袋に」という格言がある。せっかく新しい酒を作っても、旧い革袋に入れればダメになってしまう――従来の枠にとどまったままでは、次の新たな枠組みは見えないという意味だ。価値観の転換を共有するためには、それにふさわしい新たな場づくりが必要だ。同時にそれは旧い価値観の破壊を伴う。その破壊が分断や対立を深めるのではなく、創造的破壊となるか。

自民党がLGBT理解増進法案の今国会提出を断念したと報じられた。当初案に対しては、差別禁止規定もない「理解増進」という骨抜き法案で、むしろ差別を放置することになる、パートナーシップ制度など自治体の施策導入を妨げかねないなど、社会の変化からみても後退だと批判の声があがった。

こうした声を受けて、差別解消法案を提案する野党が差別禁止規定などを盛り込む修正を提案、与党との協議が繰り返され、差別禁止規定ではないものの、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という基本理念が加筆された修正案が、与野党でいったん合意された。

 しかしこれに自民党内で異論が噴出、党の会議で差別発言が相次ぐなどしていったん了承が見送られたものの、最終的に条件付きで了承された。長時間の激論では、自民党内の賛成派も声をあげるようになった。一歩進むか、三歩進むかの違いはあるものの、進む方向については大きな違いはない、というところまで「新しい革袋」が見えてきた。

ところが国会日程を理由に、自民党は今国会への法案提出を断念するという。旧い革袋を新しい革袋に代えるための最後の一歩、という局面かもしれない。自民党に対する抗議行動が、こう呼びかけられた。

「自民党が今国会でのLGBTをめぐる法案の提出見送りを決めたと報じられました。『審議日程が確保できない』ということですが、実際には国会の会期末まであと2週間以上あり、成立させようと思えばできる状況です。結局は強硬に反対する自民党保守派への配慮が理由だと言われています。~中略~性的マイノリティに関する差別をなくす法律もつくらず、自民党議員からの差別発言の撤回や謝罪もないという状態は、五輪憲章にも反している状態で、国際的にも問題と言えます。

このままでは、ただヘイトスピーチを撒き散らし、当事者を傷つけるだけという状態で終わらせるわけにはいきません。

私たちはあきらめない。逃げるな自民党。LGBT差別をやめろ。命を守る法律を」。

【緊急】 #逃げるな自民党 LGBT差別抗議デモ24時間シットイン|#LGBT差別抗議デモ24時間シットイン 5/30 18:00〜
自民党が今国会でのLGBTをめぐる法案の提出見送りを決めたと報じられました。「審議日程が確保できない」ということですが、実際には国会の会期末まであと2週間以上あり、成立させようと思えばできる状況です。結局は強硬に反対する自民党保守派への配慮が理由だと言われています。さらに5月19、20日には、自民党の会合で、簗和夫議員...

 「成立をあきらめない」との声は与野党からも上がっている。法案を担当する稲田委員長は「私はあきらめていない。(与野党)合意は非常に価値があるので、成立へ進めていくべきだ」と強調、立憲民主党の福山幹事長は「法案成立にどんな協力も惜しまない。自民党には最後まで提出と成立に努力をいただきたい」と訴えた。

理解増進法案が「まずは国民の理解が必要だ」としている一方で、LGBTQの人たちへの理解は社会の中で急速に広がっている。2019年の調査では同性婚に「賛成」「やや賛成」と答えたのは、全体の64・8%と4年前に比べて13・6ポイント増加。性的マイノリティに対するいじめや差別を禁止する法律・条例の制定については、87・7%が「賛成」と答えている。こうした社会の変化を追認できる政治なのか、そこから逃げたり妨害したりする政治なのか。秋までに行われる総選挙は、それを問う一票を投じる機会にほかならない。

旧い革袋を新しい革袋に取り換えるための創造的破壊。自治の現場では、すでに変化は確実に始まっている。LGBTQの人たちが自治体にパートナーシップ制度を求めるなかで、子育てや介護など地域に暮らす他の人々の課題とも共有性を見出しつつある。またこうした運動によって、高齢男性議員に代表される社会に埋め込まれた差別や偏見が可視化されるとともに、それを糾弾するのではなく、「いないことにされてきた」他者を理解するための糸口に転じようという動きも始まっている。

各地の選挙で見られる、いわゆる「保守分裂」も、こうした社会の変化を反映する現象のひとつととらえるべきだろう。保守分裂や世代交代という視点では、社会の変化の肝心なところは見えてこない。

「世の中を変えるための合意形成をはかるには、ある意味で〝カオス〟の空間を作らなければならない。変革のための議論を提起しても、旧い常識の枠のなかでは『気持ちは分かるが、それでは…』という世間帝国主義にしかならない。旧い常識を創造的に破壊する適度なカオス―旧来の人間関係を破壊するプロセスではない〝穏やかなカオス〟をどうつくるか。これは〝いのちとくらし〟というところから、カオスを作れるかということになる」(総会報告)。

「旧い常識を創造的に破壊する適度なカオス」をつくるためには、〝次世代の視点〟も重要だ。例えばフューチャー・デザインという手法では、合意形成の場に将来世代を代理する人を置くことで、将来世代のことも考えた議論ができるとされる。

岩手県矢巾町では、住民を「現在世代グループ」と「将来世代グループ」に分けて、まちの将来ビジョンを議論。当時(2015年)黒字だった上水道事業について、現在世代グループは、水道料金を値下げして黒字を住民に還元することを主張したが、将来世代グループは上水道の設備更新の投資のために資金を蓄積する必要を重視。矢巾町はこの実験のあと、現実に水道料金を値上げすることができたという。

ドイツ憲法裁判所は、2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにすることを目的とした2019年の法律を拡大するよう政府に命じた。2030年以降の削減目標を先送りしている同法は、その結果を背負わなければならない将来世代の自由を危険にさらしている、と若者たちが訴えた裁判の判決である。われわれの社会の持続可能性のために将来世代の基本的権利を守る責務が現在世代にはある、ということが判決で明確に示された。

日本でも変化はみられる。クーデターに抗議するミャンマーの人々を支援するためのクラウドファンディングには、一か月で目標の10倍を超える資金が集まった。ODAも関連する日本の旧来の「パイプ」が機能せず、日本政府もあいまいな対応にとどまる一方で、自由と民主主義の未来を闘いとろうとする人々への国境を超えた共感と連帯は、日本の市民社会のなかにも着実に広がっているといえる。

価値観の転換―新しい酒は、社会のあちこちで醸し出されつつある。その新しい酒を注ぐ新しい革袋を準備しよう。

辺野古新基地建設の埋め立てに沖縄戦の遺骨が混じる南部の土を使うという不条理に対しても、「本土の人権意識、民主主義観、倫理が問われている」という新しい革袋から問いを発しよう。五輪は消費者民主主義の中心である首都圏にも、〝いのちとくらし〟や民主主義に関わる価値観の転換を迫っている。「開催さえすれば、世の中は五輪でどんどん盛り上がる」という腐った革袋を、歴史の舞台から退場させられるのかと。

地球環境という点でも日本社会の持続可能性という点でも、2030年は分岐点だと言われる。そこに向かって今から何をどう準備するのか。明日の世界は昨日までの延長にあるのではない。今日の私たちの生き方が明日の世界を作る。今を歴史の転換点に。

(「日本再生」505号一面より)

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第九回大会第七回総会【会員限定】を、以下のように開催します。

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8月22日(日) 13時から17時

ZOOMにて

詳細は追ってお知らせします。

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在日ミャンマー人の若者が民主化支援のためにレストランをオープン

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■在日ミャンマー人の若者が民主化支援のためにレストランをオープン

利益は『全て』ミャンマー支援に寄付。在日ミャンマー人の若者たち、飲食店を都内にオープン | ハフポスト (huffingtonpost.jp)

Spring Revolution Restaurant (springrevolutions.com)

■京都大学・中西嘉宏先生のミャンマー問題についての論考 全文公開は少しの間とのこと

Vol.67 May/Jun. 2021 | 外交WEB (gaiko-web.jp)

■ミャンマーより、つれづれなるままに(ミャンマー在住日本人のつぶやき)

ミャンマーより、つれづれなるままに(Japanese diary from Myanmar)
ミャンマーより、つれづれなるままに(JapanesediaryfromMyanmar)-「いいね!」1,949件·1人が話題にしています-ミャンマー在住の、とある日本人のつぶやきをお届けします。※2022年4月