「がんばろう、日本!」国民協議会
==================================
Index
□ 歴史的転換期―危機の時代と下り坂の時代に、民主主義を鍛える
●ふたつの戦争を抱える世界のなかで
●歴史的な選挙イヤー 多層的・多元的な民主主義という挑戦
- 東京 囲む会(1/16)
==================================
歴史的転換期―危機の時代と下り坂の時代に、民主主義を鍛える
==================================
【ふたつの戦争を抱える世界のなかで】
国連安保理は12月22日、ガザ地区の人道支援拡大を求める決議を賛成多数で採択した(米ロが棄権)。アメリカの求めで採決を延期し調整を繰り返した結果、戦闘停止を要求する文言を削除するという「薄まった」内容になったが、アメリカが拒否権を行使しなかったのは初めて。安保理決議には法的拘束力があるものの、イスラエルは戦闘を継続しており、ガザ地区での死者は2万人を超え(その多くが女性と子ども)、飢餓の危険が迫っていると国連が警鐘を鳴らすような危機的状況だ。
ガザ地区をめぐる安保理決議は三回目。これまでに二回拒否権を行使したアメリカに、三回目の拒否権行使をためらわせたのは、停戦と国際人道法の順守を求める国際世論の高まりにほかならない。12月12日には国連総会で、ガザ地区での即時の人道的停戦、民間人の保護に関する国際法上の義務の順守、全ての人質の即時かつ無条件の解放などを求める決議が、186カ国中153カ国の賛成(採択に必要な3分の2以上の賛成)を得て採択された(日本も賛成)。反対はアメリカなど10カ国で、アメリカの国際的な孤立が際立った。
イスラエル寄りの立場をとる政権がパレスチナ連帯のデモを禁じることもある欧米でも、市民の大規模な抗議行動が繰り返され、イスラエル支持を打ち出す企業へのボイコットの影響で、世界的なカフェチェーンでは110億ドルの損失が生じたという。日本の各地でもさまざまな抗議行動が行われ(入管問題から広まったスタンディングも連日)、ガザでの停戦を求める決議や意見書を採択した地方議会は200を超えた。
「国際政治の理想と現実に深い洞察を示したE.H.カーは、軍事力と経済力とともに、「意見を支配する力」を国際社会で重要な力としてあげた。今日の国際情勢では、人権に関して適切に判断し行動する「人権力」は、意見を支配する力の中核をなしており、権威主義勢力でさえ人権理念を真っ向から否定することは少ない」(筒井清輝「人権と国家」岩波新書)。
イスラエルが強硬姿勢を続け、衝突が周辺地域にも拡大する可能性があるなか、「イスラエル、ハマス、どちらを支持するのか」という二分法を超えて、人権という普遍的価値―西欧スタンダードを超えた普遍的価値―を問う波を、さらに大きなうねりにしていくことが問われている。
それはまた、国際社会での日本の立ち位置にも関わる。
「何か勘違いしているのは、G7と一緒に動くことが国際世論・国際社会と協調しているような発想でいる人が多いことです。しかし、G7よりもグローバルサウスの方が、人口ははるかに多いし、GDPでも追い付いてきています。G7は世界の一部であって、あれが国際社会すべてではないことを自覚してほしいと思います。・・・G7の中だけで頑張るというパラダイムではなくて、グローバルサウスや市民社会と連帯する新しい枠組みの外交をぜひ目指してほしいと思います」(高橋和夫・放送大学名誉教授https://ameblo.jp/t-kazuo/entry-12831838897.html)
「日本とASEANの関係を、他の地政学的な動き、例えば「米国と中国」、あるいは「米国とロシア」といったレンズから見ないようにしなければなりません。もし日本がそれらの国々と同じかごの中に入れば、我々としては、日本が大国間競争の中で独自の存在だ、と見なすことが非常に難しくなります」(マルティ・ナタレガワ元インドネシア外相 朝日デジタル12/15)
大国間競争のなかでの独自の存在として、日本の「戦略的不可欠性」や「戦略的自立性」をどう獲得できるのか。この点からも、人権という普遍的価値から外交はもちろん国内のあり方をも問い直していくことが必要だろう。
「現在は国際秩序の歴史的な転換期だ」と誰もが言う。問題は、その様相をどうとらえるかだ。「新冷戦」や「民主主義対権威主義」ととらえるのか、あるいは多元化や流動化など、歴史的な構造変化をとらえるのか。それによって、パワーバランスの変化への対応も違ってくるはずだ。
中西寛・京都大学教授は、以下のように述べる(京都・囲む会 535号。)
「最後に「国際政治の構造変化」というところを、簡単にお話ししたいと思います。
現状について「指導なき世界」と書きましたが、ウクライナ戦争が起きてから、世界はアメリカを中心とした西側と、中国を中心とした専制的諸国がある種にらみ合って国際情勢を動かしていく、というような見方がありました。私は当時からその見方は説得力がないと思っていましたが、ここに来ていよいよ、アメリカにしろ中国にしろ、世界秩序を動かせる範囲はかなり限定されていることが明らかになってきたと思います」。
「つまり現在の状況は新冷戦というようなことではなく、どちらかというと、より危険な状況になっていると見ざるをえない。むしろ第二次大戦前の状況に相似しているのではないか」。
「同じようなことになるのかどうかは分かりませんが、今二つのかなりショッキングな、冷戦時代には見られなかったような、主要な国が関わる大規模な紛争事態が起きているわけです。世界の主要国、とりわけアメリカの関与が弱くなっていくなかで、いろいろな地域紛争が起きて、それらが徐々に干渉しあってより大きな戦争につながって行く、そういう危険性がある時期に差し掛かっているということです。
そういうことを認識してどう行動できるかということが、われわれにとっての課題ではないかと思います」。
国際政治学者・高坂正堯(1934-96)の1990年の講演録「歴史としての二十世紀」(新潮選書)が評判になっている。このなかで高坂氏は「共産主義との対抗関係があったから、自分たちのシステムが本当にいいのか悪いのか考えてくるのを怠ってきた。その点を今こそ考えるべきではないでしょうか」と警鐘を鳴らしている。
冷戦終焉を自由主義の勝利ととらえる〝驕り〟は二項対立や二分法に走りやすく、そこから分断や排斥が生まれる。必要なのは、リベラルな民主主義の脆弱性(内なる分断や「対テロ戦争」の論理など)への自省ではないか。しかも21世紀の人類的課題(地球環境やテクノロジーなど)は、多層的・多元的な協調や連携、それらの重なり合う合意形成のなかからしか、解決の糸口を見出すことはできない。
こうした方向に向かうことができるのか、それとも分断や対立の激化、衝突の連鎖・拡大に向かうのか。大きな分岐点に立っている。
【歴史的な選挙イヤー 多層的・多元的な民主主義という挑戦】
2024年は台湾総統選挙をはじめアメリカ大統領選やロシア大統領選、欧州議会選挙やインド総選挙など、世界人口の半数以上を占める国・地域で選挙が予定されている。世界的にポピュリズムが台頭するなか、それぞれの民主主義のありようが今後の方向性を大きく左右することになる。
ここでも「民主主義対権威主義」という二項対立的思考ではなく、民主主義のイノベーション、あるいは多層的・多元的な民主主義という問題設定が問われる。
「吉田 選挙は民主主義の代名詞のように語られがちですが、レビツキーとジブラットは「現代において民主主義の後退は選挙から始まる」とまで言っています。つまり、現代においては選挙の有無だけで民主主義の程度を測ることはできなくなっていて、むしろ選挙で勝利したことを免罪符に、独裁的な政権が生まれる傾向にあります」(中央公論1月号 対談「投票=民主主義という幻想 吉田徹・東島雅昌)。
(民主化の流れを取り戻すには)「吉田 選挙による正当性を堅持しつつ、別の政治参加のチャンネルを作らなければならないでしょう。~中略~日本に限らず今の民主主義理解は選挙中心主義、選挙至上主義になってしまっているように映るからです。そこでは、選挙で政権交代が起これば世の中すべてが変わるといった過剰な期待がかけられ、その期待がいつも落胆に変わるという悪循環に陥ります。民主主義のありようは代議制民主主義と選挙だけに限らないのであれば、もっと複合的な民主主義の実践が求められます。~中略~政治的アジェンダも複雑化、多元化しているので、一つの多数派だけで有効な対処はできなくなっている。アジェンダに応じて多数派を柔軟に組み替える仕組みこそが、構想されなければならないでしょう」(前出)。
選挙で決着をつける多数決民主主義ではなく、さまざまな政治参加のチャンネルを通じて、重なり合う合意形成を可能にするような民主主義のイノベーションへの糸口を、日本でもどのように作り出していくか。
「政治不信」という雑な括り方では、投票率50パーセントの現状を他人事としてしか見ていないことになる。この間の選挙では、投票率を数パーセントでもあげることが政治構造の変化に結びつく、あるいはその可能性の糸口につながることが実践的に明らかになっている。投票箱の外にあふれている多様な民意に、どのように近づき、とらえ、結びつくか。そこから「あきらめない」主体的意志をいかに育み、つなぎあわせていくか。その経験知や教訓こそが必要だ。
例えば、岸田減税はなぜかくも不人気なのか。負担と給付をトータルに論じようとしない姑息なやり方こそが、選挙目当てのバラマキと見透かされているのではないか。そこから聞こえてくるのは、「求めているのは目先のアメではなく、下り坂の時代の将来ビジョンだ」という声ではないか。それに応えようとする政治・政党は何か、という問いではないか。
「一度集めた税金を頭割りで配り直すことで普遍的な給付を装うよりも、わたしたちが真に必要としているのは、皆で負担を分かち合うことで、わたしたちが大事にしようと思える制度をつくることにあるのではないか。その実現の責任に正面から向き合う政治こそ、自らの税や負担を託したいと思う付託先であるはずだ。
わたしたちは、心のどこかで個人的利益を超える制度を欲している。そして、それゆえに今回の一時的減税を喜ぶことができないのではないだろうか。社会的共通資本をつくり、その利益を再び社会に還すことこそ、わたしたちが望む真の「還元」論ではないか」(吉弘憲介「岸田減税が不人気な理由」世界1月号)。
あるいはこうも言える。
「宇野 今のお話を、国民による政府への信頼の問題に繋げて考えてみます。今、政府への不信感は高まっていますが、「自分たちですべてやるから税金は最低限にしてくれ」という考え方も、おそらく支持されないでしょう。~中略~この30年の改革で人々のフラストレーションは溜まっていて、政府やパブリックセクターへの不信感が募っていることは確かです。もう一度政府への信頼を高めるのは容易ではありませんが、パブリックセクターを何とか自分たちで維持しないといけないという思いは、広く共有されているように感じます。~中略~それでも絶望せずに地方で頑張っている人たちや、坂井さんのようにビジネスや新しい技術で課題解決を図る人たちもいる。つまりみんな逃げ出さないことを選んでいるわけで・・・」(対談「政治への不信は制度改革では克服できない」宇野重規・坂井豊貴 中央公論12月号)。
時代が大きく転換するときに、ある人々は啓発され、ある人々は愚鈍に打ちひしがれる。右肩上がりを前提とした一億総無責任連鎖のなかからも、一方では「今だけ、カネだけ、自分だけ」や「あきらめるしかない」へ、他方では「あきらめるわけにはいかない」「逃げ出さないことを選ぶ」という主体の分岐が走るようになる。
あるいは「中立」を装う傍観者のなかからも、「ここで、見て見ぬふりはできない」というアクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)が生まれてくる。自分は当事者でなくても、差別やハラスメントに対して「何もしないで見過ごすことは、『中立』ではなく、差別やハラスメントへの加担になる」という「行動する傍観者」としての当事者性だ。
うまれはじめた「あきらめない」という主体的な意志を、さらに能動的な主体へとどのように育み、また社会的な変化と政治的な変化として表出・蓄積していくか。「あなたも私も主権者ですよね、次の世代にどんな背中を見せますか」とか「自分の子どもだけではなく、次の世代にこんな社会を渡すわけにはいきませんよね」という当事者意識や主権者意識をどのように醸し出していくか。
ここで衰退日本に底を打っていこう。下り坂の時代の強靭な足腰としての、多様な参加型民主主義を鍛えていこう。
(「日本再生」356号一面より)
==================================
- 東京・囲む会(2024年1月16日) のご案内
==================================
第217回 東京・戸田代表を囲む会【会員限定】
2024年1月16日(火) 18時30分から
ゲストスピーカー 馬淵澄夫・衆院議員
タイトル 未定(国会報告など)
「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所
参加費 同人1000円 購読会員2000円
●オンライン配信申し込み
締め切り 1月15日 18時
1月15日 18時以降、申し込みのあったアドレスにURLを送ります。
*アドレスの誤記入でURLが送信できないことがあります。ご注意ください。
*パソコンからのメールを受信できるアドレスで申し込んでください。