メルマガ♯がんばろう、日本!         №298(23.6.1)

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Index 

□ 人権民主主義の〝小さなさざ波〟を、無責任連鎖社会の地殻変動へ

~私たちはどんな社会を望むのか

●人権民主主義なのか、人権と結びつかない民主主義なのか

●どんな社会を望む? みんなが社会の意識を変えてきたからこそ・・・

●【自治の現場から憲法の価値にコミットしていく

  • 戸田代表を囲む会in京都 (6月10日)

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人権民主主義の〝小さなさざ波〟を、無責任連鎖社会の地殻変動へ

~私たちはどんな社会を望むのか

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【人権民主主義なのか、人権と結びつかない民主主義なのか】

「私たちの立場になって考えてください。仮放免のため健康保険証も住民票もなく、働くこともできない。子どもだけ在留資格を与えられても、親と離ればなれでは生活できない。帰国しても生きていけないから日本にいたいと願う人たちのことを真剣に考え、難民の命と人生を守ってほしい」

入管法「改定」案を審議している参院法務委員会で、参考人として意見を述べたトルコ国籍のクルド人、ラマザンさん(25)の言葉だ。ラマザンさんは9歳で両親や弟とともに来日。トルコでは安全に暮らせないとして、日本で難民としての保護を求めたが認められず、父親は2回入管施設に収容された。

 ラマザンさんは仮放免のまま小学校から高校まで卒業。通訳になりたかったが、在留資格がないことを理由に英語の専門学校への入学を断られ、自動車整備士の資格を取った。国を相手取って提訴し、2021年に在留特別許可を得た。しかし両親と日本で生まれた妹は仮放免のままだ。(ラマザンさんたちを描いたドキュメンタリー映画『東京クルド』https://tokyokurds.jp/

 入管法の審議で当事者が意見を述べるのは、これがはじめて。入管法によって文字通り命と人生が左右される当事者の声も聞かずに、何をどう審議するというのだろうか。裁量権を握る入管によって在留資格の更新期間を短くされたりするリスクもあるなか、意見を述べたラマザンさんの決意の重さは計り知れない。

入管法をめぐる動きは、人権という普遍的価値―憲法が前提とする価値―から政治や経済、社会のあり方、あるいは人としての生き方を問うてみようという〝小さなさざ波〟を、どのように社会の地殻変動にせり上げていくか、ということでもある。

政府は今国会に、二年前に廃案になったのとほぼ同じ内容の入管法「改定」案を提出。衆院では立憲が「修正」に応じそうになったものの、市民の声の高まりを受けて反対に転じ、参院では野党の対案と政府案が審議されるところまでになった。デモも毎回人数が増えるとともに、ローカルでも連日のようにあちこちでスタンディングが行われ、一人街宣も各地で行われている。

人権を「思いやり」や理想一般としてではなく、自分自身の生き方として主体化しつつある人々から始まる〝小さなさざ波〟。

例えば若者の政治参加に取り組む能條桃子さんは、ラマザンさんの記事にこうコメントしている。「私も25歳なので、同じ年月を日本で過ごしてきて、生まれた環境によってこれまでに大変な状況となってしまうこと、そしてその大変さを自分の国自身の法制度がつくり出していて、今もさらに悪くなる方向に進んでいることを申し訳ない気持ちで読みました。

~日本に住むほとんどのマジョリティにとっては関係のない話に見えているかもしれませんが、この社会にいる脆弱な立場の人に国や制度が向ける視線は私たちの社会を象徴しているように私は感じています」(5/25朝日デジタル)。

人権は国籍や性別、肌の色、出自などによって制約されるものではない。人権を天秤の一方に乗せた場合、もう一方に乗せることができるのは国益でも秩序でもなく、別の人権である。人権は多数派の「思いやり」ではなく、人権を実現するのは立憲民主主義の憲法下にある政府の義務にほかならない。

戦後憲法の三原則は基本的人権、国民主権、戦争放棄とされるが、こうした人権の普遍的価値にコミットしなければ、国民主権は単なる多数決独裁に、戦争放棄は一国平和主義に帰結してしまう。その民主主義は消費者民主主義、無責任連鎖へと帰結する。その一角が、人権民主主義というところから分解し始めた。その〝小さなさざ波〟を無責任連鎖社会の地殻変動へと、どう発展させていくか。

 入管法の審議では「国益あっての人権だ」「人権も国益や秩序とのバランスで考えるべきだ」という国会議員が、専門家から「それは20世紀の過去の考え方だ」とたしなめられた。人権民主主義なのか、人権と結びつかない民主主義なのか。その分岐が見え始めている。

第二次大戦の反省から始まった国際人権の歩みは、人権の普遍性原理と内政干渉肯定原理(人権の普遍性は国家主権に優先する)を確立してきた歴史であり、冷戦後はさらにそれが実践的に深められアップデートされてきた。(筒井清輝「人権と国家」岩波新書)。

それゆえ人権に関わる国際条約の締約国(もちろん日本も)の政府は、国内において(国籍などに左右されることなく)人権を実現する義務を負うとともに、国際人権機関の勧告や警告を受け、条約の内容に反する国内法や制度は改定または廃止しなければならない。これが21世紀の国際的なスタンダードだ。

入管法改定案については、国連人権理事会の特別報告者から「国際的な人権基準を満たしていない」として、抜本的な見直しを求める共同書簡が日本政府に送られている。政府は「一方的な公表に抗議する」との立場だが、これで先進国と言えるのか。

G7議長国としてサミットでは、グローバルサウスも含めたウクライナ支援での結束を演出したが、ウクライナ支援の大義も国家主権のレベルだけではなく、国際人権(戦争犯罪!)や核廃絶(NPT参加のために核を放棄したウクライナを支援する意味!)という、より普遍的な大義を掲げること、それにふさわしい国や社会のありようを示してこその議長国ではないか。

「E.H.カーは、軍事力と経済力とともに、「意見を支配する力」を国際社会で重要な力としてあげた。今日の国際情勢では、人権に関して適切に判断し行動する「人権力」は、意見を支配する力の中核をなしており、権威主義勢力でさえ人権理念を真っ向から否定することは少ない」(筒井 前出)。
 

【どんな社会を望む? みんなが社会の意識を変えてきたからこそ・・・】

入管法の審議ではもうひとつ、維新の議員から「支援者の関与」を問題視する発言が繰り返された。通底しているのは、社会的弱者の支援活動には何かウラがあるはずだ、利益なしに他人を支援するはずがないという認識――今だけ、カネだけ、自分だけという社会観だろう。

ありもしない「弱者利権」をデッチあげ、それを叩くことで「タブーに切り込む」と見せるスタンスはここ数年、生活保護バッシングや「在日特権」ヘイト、若年女性支援攻撃など、あちこちで見られている。極端なバッシングがそれでも一部の支持を得る根底には、私たちの社会の共助や支援、社会運動に対する態度も無関係ではないだろう。

人権がどれだけ尊重されているかということは、私たちがどういう社会を望むのか、ということでもある。理由なく見知らぬ人を助ける,それに違和感をもたない社会にしたいのか、すべて自己責任、利益なしに他人を助けるわけがないという社会にしたいのか。

名古屋地裁では、同性婚を認めない現状を違憲とする三例目の判決が出された。これまでの二例よりさらに踏み込んだ内容だ。傍聴者は「みんなが社会の意識を変えてきたおかげで出たんだよ、と言ってくれているように感じた」と語ったという。(松岡宗嗣https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20230531-00351741

「同性婚実現の先行国の大半とほぼ同じ流れです。まずはLGBTQ+の可視化が行われる。続いて自治体と企業が平等に向けたサービスと物品提供における差別解消に動く。そして右派・宗教支援組織のしがらみで動けない立法を尻目に、司法が法の下での平等を説く。このベクトルは否定できない」(北丸雄二https://twitter.com/quitamarco

世界が歴史的な転換期に入る一方、わが国ははじめて本格的な衰退期に直面している。そのなかで、憲法の価値にコミットしようとする人々、シラフになる人々、避ける人々、無視する人々、憲法の価値を否定し復古主義に陥る人々・・・こうした主体分解の新しい光景が始まっている。この〝小さなさざ波〟を、無責任連鎖社会の地殻変動へとどう発展させていくか。それはなによりも、「どういう社会を望むのか」という私たち一人ひとりの意思にかかっている。

【自治の現場から憲法の価値にコミットしていく】

G7広島サミットは、ロシアの違法な侵攻が続く限りウクライナを支援すると明らかにし、ゼレンスキー大統領とグローバルサウスといわれる招待国首脳との直接対話も実現させた。国際秩序が大きく動揺する歴史的な転換期に、武力による現状変更は許されないことを改めて明確にしたことは重要な成果だ。一方でこうした規範を維持するためにはG7の結束だけではなく、グローバルサウスといわれる国々との協調が不可欠であることは言うまでもない。その意味では今回のサミットの成果も、G7外への影響は限定的なものであることを自覚しなければならない。

日本は先進国とグローバルサウスの橋渡しを自認しようとしている。またその立ち位置を獲得することが、衰退に直面している日本の生き残りにとっても不可欠であることは言うまでもない。

世界は民主主義をめぐる歴史的変動期に入っていることを、日本でも意識せざるをえない。さらに歴史的にはじめて衰退局面を迎えているという現実も、いよいよ見ざるをえない。そのなかで人権民主主義の側に立つということ、そして冷戦的な二項対立ではなくグローバルサウスと連携してという立場に、政府も一応立っている。この点は大東亜共栄圏を掲げて大東亜戦争に走った戦前とは大きく違う。

だからこそ人権や民主主義といった普遍的価値の内実を、私たち自身が「どういう社会を望むのか」を問うなかから作り上げていかなければならない。戦後憲法の価値にコミットすることで、基本的人権や国民主権そして戦争放棄の理念を21世紀にふさわしいものとして具現化していくこと。そのための舞台は自治の現場にほかならない。

国家間の対立を超えて「私たちはどういう社会を望むのか」という市民社会の対話と連帯を構築するところまで、人権や民主主義、自治といった価値を鍛えていきたいものだ。

(「日本再生」259号 一面より)

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第42回 戸田代表を囲む会in京都

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「歴史と感情が国際政治を動かす~歴史的思考力を育むために」

講師:吉田 徹・同志社大学政策学部教授

とき:6月10日(土)18:00開場18:30開始

会場:キャンパスプラザ京都 2階第一会議室

会費:2,000円(学生1,000円)

連絡先:075-692―2400