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□ 歴史的転換期のカオスを、
民主主義のイノベーション(軌道の変更と担い手の変更)のチャンスとするために
●歴史的転換期の問題設定 軌道の変更と担い手の変更
●責任の共有 歴史的転換期のカオスを生き抜く主体性
●穏やかなカオス 等身大のイノベーション 統一地方選の問題設定
□ 囲む会(東京)【会員限定】のお知らせ
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歴史的転換期のカオスを、
民主主義のイノベーション(軌道の変更と担い手の変更)のチャンスとするために
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【歴史的転換期の問題設定 軌道の変更と担い手の変更】
岸田首相は1月の施政方針演説に続き自民党大会でも、わが国は明治維新、終戦(敗戦)に続く歴史の転換点に立っているという認識を示した。(ただし党大会の演説では旧統一教会との関係の清算には全く触れなかった。なかったことに?)
歴史的転換期とは、それまでの価値観や秩序が崩壊し力を失う一方、新たな方向性はいまだ不確かなカオスの状況にほかならない。こうした歴史空間では、ノスタルジーを持ち出して未来を投射しようとする「○○を取り戻す」では、「これしかない」の視野狭窄に陥る(かつての「大東亜共栄圏」発想は典型)。
その道に陥らないためには、歴史的転換期のカオスをイノベーションのチャンスとして――否定や破壊ではなく総括・転換のチャンスとして――とらえること。すなわち、このカオスのなかで軌道の変更と担い手の変更をどう準備していくか、という問題設定からとらえていくことだ。
(軌道の変更)
ロシアによるウクライナ侵攻によって「ポスト冷戦」の一時代が終わりを告げ、また日本では、平成の「失われた30年」の結果(衰退)にいよいよ直面せざるを得なくなった。もはや過去の延長や先送りで凌げる局面ではない。
ウクライナ侵攻の帰趨は、「ロシアの一方的な力による現状変更を国際社会が許すのか、それとも阻止するのか。それしだいで、法の支配による国際秩序が崩壊するのか、救済されるのかが決まる。そうした大きな歴史の転換点」(細谷雄一 朝日デジタル2/25)にほかならない。
ここにおいて、侵略した側とそれに抗して戦う側を同列に置いて「平和」を唱える立ち位置が何を意味するかは、厳しく問われるべきだ。その点で、戦後日本の平和主義も根本的な転換が問われる。またそのことが、人権や法の支配、民主主義といった規範を国内においても実現していく不断の努力と結びつかなければならない。
あるいは「失われた30年」の帰結のひとつである少子化の対策は、「2025年頃までがラストチャンス」と指摘されている(柴田悠・京都大学准教授 ヤフーニュース 2/22)。団塊ジュニア世代に第三次ベビーブームが生じなかったのは、背景にある社会経済的構造要因の変革を先送りし続けてきた政治の失敗にほかならない。このまま「静かに沈んでいく」のか、持続可能性へのラストチャンスをつかめるか。歴史的な分岐点であることは間違いない。
「課題先進国」と言われ始めてから、すでに20年近い。しかしこの間は「課題を共有する」ことよりも、「〇〇を取り戻す」、「これしかない」に費やされた。ラストチャンスをつかめるかどうかは、ここの転換にかかっている。
(担い手の変更)
わが国にとってのこれまでの「歴史的転換」は「黒船」にしろ「敗戦―GHQ」にしろ、外圧によるものだった。しかし今回は外部環境の変化のみならず、それに応じた主体転換を伴うことが不可欠だ。とくに「日本を取り戻す」と言ってきた安倍政治の十年で日本は衰退しきった、という不都合な真実に目を向けることなしには、いくら「台湾有事」を喧伝しても歴史的な転換を生き抜く主体性(当事者性)は準備できない。
歴史的転換は、ある日突然始まるのではない。そこに至るまでにさまざまな「予兆」があったはずだ。それらをつかんで変化に対応する主体性を準備するのか、先送りしてやり過ごすのか。主体的な準備なくして歴史的転換期のカオスに直面するということは、「破局を通じて内因―主体転換を図る」ということになる。
だからこそ歴史的な思考力が不可欠だ。それが欠ければ平時の「まあまあ主義」(日本型合意形成)は、非常時にはいとも簡単に「これしかない」の視野狭窄に陥る。(例えば、戦前日本の日米開戦の決断は無知・無謀なものではなく、むしろ「負けが込んだからこそ一発逆転を狙う」リスク選好型の合理的な判断だったことが、近年の研究から明らかにされている。『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』牧野邦昭 新潮選書)
コロナ禍、ウクライナ侵攻を媒介として、ポスト冷戦の30年、「失われた」30年を検証する歴史的な思考が試されている。ここからカオスを生き抜く主体性(当事者性)を準備しよう。
【責任の共有 歴史的転換期のカオスを生き抜く主体性】
歴史的転換期には旧い時代の価値判断が崩落していく。そこでのカオスを、次の時代を議論しながら迎えられるか。これは議論する・できる関係性や、そこでの責任の共有ができるかという問題。自己認識の範疇なら、自助努力で(自分だけは)生き延びようとする以上にはならない(自己責任論はさらに強化される)。
例えば「課題先進国」と言われ始めてから20年近い歳月が、「課題を共有する」ことよりも「〇〇を取り戻す」、「これしかない」に費やされた背景には、意見や利害の違いを数で決着つけようという多数決民主主義の広がりがあるだろう。選挙が対立や分断をむしろ深めてきたことは、その一つの証左ではないか。
一方で自治の現場で試みてきたことは、地域の課題を共有し合意形成をはかるための討論空間―公共空間を作ることであり、選挙もそのひとつの機会とすることだ(各号の「一灯照隅」を参照)。消費者民主主義の破局から生じるカオスをどう迎えるか。数で決着―多数決民主主義による分断で迎えるか、意見の違いを前提にした合意形成の可能性を持って迎えるか。転換期の様相はまったく違うものになる。
別の角度からも考えてみたい。
岸田政権は「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」という認識のもと、安全保障政策の大転換と防衛増税を決定した。安全保障環境の大転換という認識は理解できる。問題はそれを「誰と」共有するのか、ということだ。
山本章子・琉球大学准教授は、次のように述べている。
「元自衛隊幹部が集まって行った台湾有事シミュレーションでは、尖閣・与那国が中国軍に占拠された状況で、米国が領土奪還は自衛隊に任せ、日本の頭越しに中国と停戦交渉を始めて終わる。自衛隊は与那国島内に残された住民に中立地帯を作らせ、住民保護と島奪還作戦を両立する想定だが、ウクライナにおけるロシア軍の振る舞いを見るかぎり、敵が住民を盾にしないとはいえない。
有事となれば軍ではなく住民が真っ先に死ぬ日本で、米国と同じ視点で台湾有事を語るのは愚かだ」(「へいわな島 10年の変遷」2/2朝日新聞「沖縄季評」)。
「厳しく複雑な安全保障環境」を戦略家気取りで論評するところに、いかなる「当事者性」があるのか。「厳しく複雑な安全保障環境」のなかにいるのは「人間」であり「地域住民」だ。
軍事アナリストの小泉悠氏はこう指摘する。
「(ミサイル配備は)大きな国家という括りで言えば日本のためと言えるかもしれない。しかし実際にそこで暮らしている人からみると、基地がなければ攻撃されないんじゃないかと思うのは、否定してはいけない素直な感情だと思う。私はミサイルを置かなければならないと思う。南西諸島防衛はやらないと、有事のときに中国の海上優勢、航空優勢の下で戦わなければならなくなる。だからこそ、何のために置くのかを住民レベル、国民レベルで議論しなくてはだめだと思う」(https://okiron.net/archives/2711)
「台湾有事」についても、そこに生きる人々が見えていればこそ、戦争という最悪の事態を回避しながら、台湾の人々の主権や自由をどう守るのかという難しい問いに真剣に向き合い、格闘する当事者性が生まれるのではないか。それがあってこそ、軍備を含む総合的な抑止戦略―政治、経済、社会、文化、規範などを含む―を構築する主体性が可能になるのではないか。戦略家気取りのウォーゲーム感覚では間違いなく不可能だ。
日本は今年、G7の議長国だ。「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」を、誰とどのように共有して議論していくのか。
「ロシアの一方的な力による現状変更を国際社会が許すのか、それとも阻止するのか。それしだいで、法の支配による国際秩序が崩壊するのか、救済されるのかが決まる。そうした大きな歴史の転換点」(細谷雄一 前出)は、しかし、ロシアを非難するのか・しないのかという「踏み絵」を迫ることではないはずだ。
「ロシアと欧米との深い対立に加え、ロシアへの対応をめぐり、欧米や日本と、グローバルサウス諸国との足並みもなかなかそろいません。しかし、こうした世界状況を『分断』と呼ぶことには慎重でありたいと思います。ウクライナに一日も早く平和をもたらしたい、食糧・エネルギー危機を国際社会で団結して打開したい、こうした思いは、各国の人々の共通の願いでしょう」(三牧聖子・同志社大学准教授 朝日2/21)。
「先進国とグローバルサウスとの架け橋」を標榜する日本に求められるのは、グローバルサウス諸国を「いかに取り込むか」という発想ではなく、彼らの主体性や自主性を尊重し、何をどのように共有し、合意形成していくかという発想だろう。ここでも「責任の共有」あるいは「共通だが差異ある責任」(COPの原則)というアプローチが求められている。
【穏やかなカオス 等身大のイノベーション 統一地方選の問題設定】
歴史的転換期のカオスをイノベーションのチャンスとして――否定や破壊ではなく総括・転換のチャンスとして――とらえる。すなわち、このカオスのなかで軌道の変更と担い手の変更をどう準備していくか。統一地方選についても、次の方向や新たな問題設定を共有するための議論をどうするか、同時にその議論のなかから新たな担い手をどう作るか。そのための多様な実践の場として、という問題設定から考えたい。
ここでイノベーションについて。「創造的破壊」とも訳されるが、既存の秩序の根底からの破壊や否定ということではなく、「等身大の変革を積み重ねられる環境整備」というイメージであり、カオスということも破壊的な対立ではなく、「対話的にすり合わせが行われる『穏やかなカオス』」(https://toyokeizai.net/articles/-/395500?page=3)ということだ。
例えば前出の「2025年頃までがラストチャンス」という少子化対策についての柴田悠・京都大学准教授の提言は、きわめて現実的なものと言えるだろう。しかし「児童手当の所得制限撤廃」ですら迷走している政治の現状では、制度への信頼は生まれず政策効果にもつながらない。
浜田敬子氏は、30年あまりの「少子化対策」が一向に効果を上げず、海外から「反面教師」として見られているのは、場当たり的で小手先の対策が繰り返され、本質的な問題が解決されていないからだとする。(https://president.jp/articles/-/66563)
本質的な問題とは何か。
「その一つが、女性が差別を受けずに働き続け、生活と両立できるようにすることだ。『女性のWLB(ワーク・ライフ・バランス)を充実させることは子どもを産むための環境づくりではなく、男女差を無くすためです。(中略)全生涯において豊かで暮らしやすい社会づくりをすることで、結果として出生率が上がっていくだろうという考えです』(『世界少子化考』より)
まさに日本も取るべきは、この一人ひとりの人権や生活を尊重した社会づくりではないだろうか。こうしたアプローチは時間がかかるかもしれないが、それこそが少子化の本質的な解決につながると思う」(浜田 前出)。
求められているのは、性別役割分業が固定化された分断社会ではなく、ジェンダー平等や多様性、人権を尊重した「対話的なすり合わせ」ができる社会だろう。そのためにも「担い手の変更」は重要だ。とくに意思決定の場のジェンダー構成が実際の社会と大きく乖離している現状は、異常と言ってもいい。
「政治だけではなく、自治会などでも女性の会長はまだまだ少ない。男性にも女性にもいろんな考えの人がいるので、女性だからと十把ひとからげにされるのもどうかなとは思いますが、物事を決定したり、ルールを決めたりする場面には、いろいろな角度から物事を見られる人が集まるのが大事です。
~中略~一つの事象をいろいろな角度から見ることで、課題を解決していく。女性でも男性でも、さまざまな経験を持った人たちが議論して、社会を良い方向に進めていくのが政治だと思っています」(近藤弥生・足立区長 東京新聞2/20)。
担い手の変更という点ではもう一つ、重要な点がある。「失われた〇〇年」とよく言われるが、多くの場合は経済的な側面にフォーカスされる。しかし当事者世代から言わせれば、「あきらめを強要されてきた〇〇年」にほかならないということだ。一定以上の現役世代は、次世代に「あきらめることを強要してきた」のだ。
これを世代間対立に転化するのか、それとも「責任の共有」「共通だが差異ある責任」という関係性への糸口へと転じるか。破壊的な対立ではなく、「対話的にすり合わせが行われる『穏やかなカオス』」をつくりだせるかが問われている。その最前線こそ、自治の現場ではないだろうか。
「課題先進国」と言われ始めてから20年近い歳月が、「課題を共有する」ことよりも「〇〇を取り戻す」「これしかない」に費やされた一方で、小さいながらも自治の現場で試みてきたことは、地域の課題を共有し合意形成をはかるための討論空間―公共空間を作ることであり、選挙もそのひとつの機会とすることだ。コロナ禍、ウクライナ侵攻の検証を媒介として、民主主義と自治のイノベーションをさらに実践的に深めよう。
等身大のイノベーションの積み重ねは、一人の巨人の一歩よりも百人の凡人の小さな一歩から生まれるのだから。
(「日本再生」256号一面より)
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第211回 戸田代表を囲む会 【会員限定】
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第211回 戸田代表を囲む会 【会員限定】
3月21日(火祝) 13時から15時
ゲストスピーカー 鵜飼健史・西南学院大学教授
「民主主義を機能させる」(仮)
「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所
会員/2000円 同人/1000円
*「政治責任を考える 民主主義とのつき合い方」(岩波新書)の著者・鵜飼先生に、お話しいただきます。統一地方選を間近に控えた時期ですが/だからこそ、改めて自治体選挙と民主主義について考えたいと思います。
*オンライン配信(予定)については、改めてお知らせします。