一心太助の天秤棒_2022年4月-106

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早朝の近所の火事にビックリ

今朝の駅立ちは、せんげん台駅東口での行動だったので、午前5時前に自宅を出発した。

 自宅から3分程で産業道路に出るために交差点を過ぎた頃、右手方向の住宅街の道路に消防車両やパトカーが車列をなしていた。その数ザーット10台前後だったが、サイレンの音は聞こえず、無数の赤色灯がまだ薄暗い周辺を照らしていた。週明けの月曜日の夜明け前に一体何があったのか、火事だろうと思いながら駅に向かった。

 後で分かったのだが下間久里の住宅街の一軒家から出火した様で、激しく炎上したらく周辺は煙と消防車等のサイレンの音で早朝から住民が騒然となったとの事。

 そのため、午前8時前に、出火した住宅街の近くに住んでいる馴染みの駅利用の中年男性から、ものすごい火事でした、煙が一面を覆いつくしてしまい、と話して頂いた。

 住民みなさんは、無事に避難できたのだろうか、出火したご家族は大丈夫だったのか、気になりながら午前8時30分過ぎまで、市政レポートを配布した。   (3月28日・月曜日)

 議員に色々聞くと、分かりやすい 

  今朝の駅立ちは、越谷駅東口で実施したので、午前6時前には、駅に到着して、街宣用具の荷下ろしのため、通常の定位置に車を停車しようと妻がしたのだが、中型トラックがすでにその場所で作業中だった。

 そのため、少し離れた場所に手に停車したため何時もより、テーブル等の設置や駅前清掃の終了が遅れて、丁度午前6時から市政レポートの配布を開始した。

 午前8時頃、高齢男性から笑顔で話しかけられた。まず、コロナ禍で越谷市が先般実施した市民への10万円の支援金に関して、それは現金なのかクーポン券なのか、どんな風に決定されたのか。また南越谷にある越谷サンシティは今後どうなっていくのか、とのお尋ねだった。支援金については、当初5万円の現金を支給した後、その後5万円の現金かクーポン券にするのか検討していたが、政府方針が急変したので10万円の現金給付で執行さえた。

 また、越谷サンシティを運営管理して来た第3セクターの越谷市コミニティプラザ株式会社(KCP)が、倒産したので、その所有していた土地を越谷市が全部買い取った。

 今後その跡地の利用のため、複合的な施設や周辺地区の整備等、多くの市民が参加して検討している最中です、とお答えした。

 すると納得された様子で、やっぱり市政の事は議員さんに聞くと分かりやすいですね、とお礼を含めて言われた。大小に拘わらず情報提供と説明は、議員の大切な仕事だと思いながら、終了の午前8時30分過ぎに駅前ロータリーに設置された大きな時計の針を見つめた。   (4月6日・水曜日)

久ぶりに会った市民から3000円の寄付が

今朝の駅立ちは、蒲生駅東口で、午前6時前から市政レポートの配布を開始した。

 この時間の駅利用者は少なく、まばらに左右の歩道を歩いて、改札に向かう市民に朝の挨拶をしながらの活動は何時もと変わらない。

 タクシー乗り場で待機している駅づけの運転手さんが二人で談笑している姿も見慣れた光景だ。ただ20年ほど前最初に、この駅で知り合った運転手さんは、ここ1年余り見かけないので退職されたのだろうか。年齢は推測するに75歳は過ぎておられるかもしれない。

 3月市議会が閉会したので、慣例になっている越谷市議会の超党派議員6人で構成する「議員有志の会」が主催するオンライン市政報告会を4月27日に開催するので、その案内チラシを配布した。

 終了間際の午前8時30分頃、旧知の高齢女性に3か月ぶりでお会いした。

直ぐに、双方からお久しぶりですね、お元気でしたか、との挨拶から始まった。

同じ駅に1か月に2回のぺースで駅立ちを繰り返しているが、毎日の通勤ではない市民の方には(この方は、都内の映画館での観賞や書道教室に通われておられる)タイミングが合わないのは想像がつく。

そして別れ際にカンパ箱に何時もの様に小型の祝儀袋を投函されて改札口に向かわれた。

街宣用具を後片付けし、迎えに来た妻が運転する車への搬入が終わり、午前9時30分頃に自宅で祝儀袋を開いてみたら、何と3000円も入っていた。3か月なので月1000円×3で3000円なのだろうか。確かに毎月1000円の定期カンパを頂いていたからだ。

これまでと同じ様に大切に使わせて頂く。 (4月8日・金曜日)

春日部市議選挙の候補者の選挙カーが

今朝の駅立ちは、せんげん台駅西口で、午前5時30分前から市政レポートの配布を始めた。

次々に早朝にも拘らず、この駅では通勤のために市民が電車を利用している。

そのため、市政レポートの受け取りも何時もの様に順調に進んで行く。

午前7時頃春日部市に近い道路の吉野家前に選挙かーが停まり、揃いのユニフォーム姿の運動員がのぼり等に準備を始めた。

4月10日から春日部市議選挙が告示されており、選挙カーが大きな音量で候補者の名前を連呼する相変わらずの選挙風景ではあるが。

この駅で選挙カーを見たのは、20年余りの駅立ち数回しかない。

暫くして、たすきかけの男性候補者から話しかけられた。これから選挙の挨拶をしますので、宜しくお願いします、と丁寧に話された。

勿論です。投票日は17日(日曜日)ですから当選に向けてしっかり運動して下さい、応答した。するとあなたは何時頃から駅頭をやっておられますか、と尋ねられたので午前5時30分前から午前8時30分過ぎまでです、お答えした。すると驚いた様子で、へー5時30分ですかと応答されて選挙カーの方に戻って行かれた。

そして、午前7時30分頃には選挙カーは駅を離れて行った。    (4月13日・水曜日)

選挙文化を変える闘いに挑戦した結果は

 4月17日は春日部市議選挙の投開票日となったが、私が全力で応援した新人の吉田理子さんは残念ながら届かなかった。

この日の午後8時前から午前2時過ぎまで吉田選挙事務所に、詰めて吉田さんと共に開票状況をライブで放映した。選挙の焦点や運動を振り返りながら、実に3時間以上二人で実況をした。落選が決定的になった午後11時30分頃、本人は意外とスッキリした様な言動だった。

しかし、立候補への強い後押しをして、あれこれの選挙ノウハウを伝え、当選への条件はあると断言していた私は、その全ての責任が自分にある事から重い気分に終始襲われた。

何より、30歳の時から必死の思いで何回もの選挙に挑み、家族を巻き込み、応援をして頂いた多くに市民の期待に応えられなかった過去の落選(実に4回も落選している)の脱力感や人格までも否定されたかの様な虚無感がフラシュバックした。

お陰様で現在連続5期当選をしているので、20年近く前の遠い昔、自分の非力に腹を立て、何を信じていいのか分からず、満身創痍となり妻に八つ当たりした事もあった。

それだけに、改めて選挙とは人との関係性を時代の変化に応じて更新していく大きな舞台であるが故に、独りよがりの“正論”が通用しない事も学んだ。

しかし、だからと言って旧来型の選挙スタイルや、ただただ頭を下げ、有権者にお願いするだけの選挙と決別する闘いを諦めはしない。

この闘いに終わりはない、と自らに言い聞かせている。     (4月17日・日曜日)