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「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

  • 敵と味方を峻別する「分かりやすい」政治から、

他者理解(エンパシー)と相互尊重(リスペクト)の政治文化へ

●「安倍・菅政治の終わりの始まり」から次の一歩へ

●ドッジボールからキャッチボールへ 信頼するに値する政治にむけて

  • 総会【会員限定】のご案内

【お知らせ】

「日本再生」は513号(2/1)より、これまでのタブロイド版からA4冊子形式に体裁を変更しました。

試行錯誤しながらになりますが、よろしくお願いします。

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敵と味方を峻別する「分かりやすい」政治から、

他者理解(エンパシー)と相互尊重(リスペクト)の政治文化へ

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【「安倍・菅政治の終わりの始まり」から次の一歩へ】

 岸田政権の支持率は発足以来、五割から六割をキープしている。もっとも、支持する理由については「他によい人がいないから」(34.1%)が最も多く(産経1/24)、積極的に支持されているとは言えない。また「支持、不支持、どちらともいえない」という回答の多さ(三割程度)が際立っている。発足後三か月もすれば政権の評価もある程度定まってくる、といわれるなかでの「どちらともいえない」の多さは、小泉政権以来二十年に及ぶ自民党政権で見られなかった現象だという。

「発信力がない」と自ら認める岸田総理の売りは「聞く力」だとのこと。確かに、18歳以下の子どもがいる世帯への10万円給付をめぐっては、野党の批判を受けて公明党と合意した当初の方針を転換した。また国交省の統計データ改ざんについても、すぐに認めて謝罪、野党が求める真相究明のための第三者委員会についても前向きの姿勢を示した。他方で看板政策とされる「新しい資本主義」については、いまだに何なのか明らかになっていない。

夏の参院選までは、「名言もないかわりに失言もない」まま乗り切ろうという戦術だろう。参院選は政権の業績評価選挙と位置付けられるが、政権が「黙ったまま」では、低投票率が続くことが懸念される。

小泉政権以降、敵と味方を峻別する政治手法が続いてきたが、その「分かりやすさ」とは別次元のところから、政権に対する業績評価や検証のすべをどのように手にするかが問われている。

ジャーナリストの尾中香尚里氏は、岸田政権は「安倍・菅政治の終わりの始まり」だとする。

「臨時国会で大きく変わったのは、野党側ではない。明らかに政権与党のほうだった。

予算委員会の答弁席には、安倍晋三元首相も、菅義偉前首相も、麻生太郎前財務相の姿もない。野党の質問に激しくかみついたり、無駄な答弁を延々と垂れ流したりする姿も、質問者の言葉を聞いていない、原稿にさえ目を通していないような覇気のない、それでいて自身の『実績』は延々と語る姿も、偽悪趣味で質問者を侮蔑するかのような答弁を振りかざして悦に入る姿も、国会から姿を消した」(PRESIDENT Online 12/29)

「驚いたのは15日の衆院予算委員会だ。この日の朝日新聞で、国土交通省が政府の基幹統計『建設工事受注動態統計』で、建設業者の受注実績データを改竄していた問題が報じられた。立憲民主党の階猛氏が事実関係を確認したところ、斉藤鉄夫国土交通相はあっさり事実を認めて陳謝。階氏が真相解明のための第三者委員会の設置を求めたのに対し、岸田首相は『至急検討したい』と早々に前向きな姿勢を示した。

これが安倍、菅両政権だったらどうなっていただろう。事実関係を認めるまでに、安倍氏がどれだけ無駄な答弁を繰り返すか。時に野党攻撃まで行うか。そうした姿勢をただすために野党側の時間がそがれ、やがて見ている側がうんざりして、国会や政治そのものから遠ざかってしまったかもしれない」(同前)

「他者からの批判にまともに耐えられない宰相が、コロナ禍で責任逃れのような言葉を繰り返す『見るに堪えない国会』が、衆院選を経てわずかながらでも『正常化』に向かったとは言えると思う」(同前)という変化を、「安倍・菅政治の終わりの始まり」として確定させる、そしてさらに「次の一歩」へと踏み出す。そういうステージが始まろうとしている。

こうした変化をもたらした根底には、コロナ危機下での社会意識の変化があるはずだ。

「コロナが格差の拡大を招き、将来不安をかきたてている現状を考えると、世界恐慌を経験した世代と同様、所得再分配など社会不安に対応する政策に、他の世代よりも高い関心を持つことも考えられます。

その結果、これまで政治がおざなりにしてきた、将来世代を視野に入れた長期的な課題、再分配、あるいは財政、環境という問題にも目を向けるかもしれない」(松本朋子 論座9/26)。

総務省の統計によれば、2021年総選挙では前回(2017)にくらべて、高齢世代の投票率は微減しているのに対して、20代と30代では2から3ポイント弱、高くなっている。とくに女性の投票率は同年代の男性に比べて数ポイント高い。

小さな変化ではあるが、注目すべき変化だろう。自己責任論が刷り込まれ、「政治をあきらめ(させられ)てきた」結果のなかから生まれつつあるこうした変化に、どのように近づき、とらえ、結びついていくか。

頼れるのは自分だけ、という価値観がコロナ禍で限界に達し、声を上げ始めた人々を「コロナ世代」と呼ぶとすれば、彼らはコロナ禍での経験を通じて〝いのちとくらし〟とつながる経済なのか、〝いのちとくらし〟から見て機能する政治なのかという感性を、右肩上がり世代やバブル世代よりはるかに鋭く持っているだろう。

〝いのちとくらし〟という価値観から、敵と味方を峻別する「分かりやすい」政治―多数決民主主義―とは異なる次元、熟議を通じた合意形成のためのコモンズ(公共空間)を、さまざまな場面でつくりだしていくこと。選挙もまたそうした場のひとつにしていくことこそ、「共闘」を発展させる方向ではないか。

【ドッジボールからキャッチボールへ 信頼するに値する政治にむけて】

敵と味方を峻別する「分かりやすい」政治をドッジボールに例えれば、熟議を通じた合意形成はキャッチボールに例えることができる。相手にボールを当てて倒すのではなく、何度もやり取りを繰り返すなかで、お互いを理解し合意点を見出していく。当然、リーダーシップのあり方も大きく変わる。

 「私は・・・『みなさんから議席をお預かりしている』とよく言います。議席は私のものじゃありませんから。ただそう言うと、『お前はやりたいことがないのか』と言われてしまうこともたまにありますが、政治家としての我欲がないとか、アピール力がないというのは、昨今の時代はむしろ誉め言葉ではないかと思っているんです。

~中略~全体のパイが伸びていく時代は、政治もばらまけばよかったので、『あれは俺がやった』でもよかったかもしれませんが、これからの時代は負担をお願いしていかなければならない。敵を作って倒す、ということでそれをやってきたのが、小泉さん以降の政治だと思います。維新はそれをさらに進める方向だろうと思いますが、それでは社会は持続可能できないと思います。

~中略~俺についてこい式ではなくて、みなさんのお話をていねいに伺ったうえで、やはりこうしなければならないでしょう、全員が賛成できないかもしれませんが、ここまでお話を伺ったので賛成はできなくてもご理解はいただけませんかと。そういう物事の決め方をしていかければならないだろうと思います。

そのときの政治家には、今議席をお預かりしている立場としてこういう責任があります、という語りが求められているのではないかと思います」(山岸一生・衆院議員 インタビュー)。

ドイツのメルケル首相(当時)やニュージーランドのアーダーン首相のようなコロナ危機で注目されたリーダーシップは、「俺についてこい」式のトップダウンではなく、共感や信頼に基づくものだ。そして北欧をはじめヨーロッパで気候危機対策や再分配政策の強化など、新自由主義からの政策転換が進んでいるのは、女性リーダーの活躍とも無縁ではないだろう。同時にそれは「女性だから」ではなく「有能」の定義が変わったことを意味していると、ブレイディみかこ氏は指摘する。

「そもそも福祉国家は、国民による国家への信頼がないと成立しません。高額な税金を納めているのだから・・・有権者は真剣に政治のことを考えます。だから投票率が高い。・・・そうなってくると・・・どの人物なら任せられるのかという一点が重要なのです。・・・北欧に誕生している女性政治家たちは、『女性だから』選ばれているのではなく、有能だから票を集めているのです。そしてその『有能』の定義が変わってきた。
 ~中略~(安倍元首相の「うちで踊ろう」便乗動画は)政治家のエンパシー能力の欠如が露呈した例です。今度の岸田文雄首相は『人の話を聞く首相になります』と語ったようですが、身内や同じ階層の人たちだけの話を聞いてもエンパシーは育たない。身近にはいないタイプの人、自分を支持していない人たちの話をこそ、ぜひ聞きに行って欲しいです」(ブレイディみかこ 文藝春秋2月号)。

コロナ危機で問われているリーダーシップ、そして気候危機や社会の分断などに向き合うために問われるリーダーシップに必要なのは信頼であり、それはシンパシーではなくエンパシーから育まれるのではないか。

「シンパシー」は同情や共鳴、SNSの「いいね」もそうだ。シンパシーを「注ぐ対象はかわいそうな人、同じような思想を持っている人、境遇が似ている人とか、どうしても制限的になる。でもエンパシーのほうは注ぐ対象に制限はありません。別にかわいそうとも思えないし、共鳴もできないし、自分にはわからない環境で暮らしている他者でも、自分がその人だったらと想像力を働かせる能力を指します」(同前)。

エンパシーにおいてこそ、「聞く力」の真価が問われる。またそのためには、他者に対するリスペクトの文化が不可欠になる。これもまた一方的なドッジボールではなく、キャッチボールのなかでこそ育まれていくものだ。

「僕の中では『言いたい』というよりも『聞きたい』という欲求があるんです。人々が何を考えているのか、何を願っているのか、困っているのか、苦しんでいるのか、聞きたいと。

そのうえで、質問や意見に対する応答について自分なりに意識しているのは、・・・まずその気持ちを受け止めるということですね。『忙しいところごめんなさい』とか、『寒いなかごめんなさい』とおっしゃる方もいるんですが、逆だと。あなたには伝える権利と権限がある、私にはそれを受け止める義務と責任がある、と私は言うんです。

そのうえでほとんどの場合は、話を聞いたからただちに解決できるという問題ではないわけです。しかしそれでも、そういう悩みはどこからきているのかということを読み解いてあげるというか。もしかしたら自己責任に帰することもあるかもしれませんが、基本的に社会構造と切り離せないということを伝えてあげると、ちょっと救われるというか。

社会構造の問題であれば、同じような悩みや思いを抱えている人は一人じゃないという話になりますね。ではその社会構造は変えられるのか、変えられないのか。変えるべきなのか、変えなくていいのかという話になります。そのうえでどうするかは政治の問題であり、あなたの問題だと。思考回路からいうと、そういうことになるわけです。

それが結果として、当事者意識を引き出す、あるいは善意を引き出すということにつながっているのかもしれません。しかしそれは計算してやっているわけじゃない。究極、煎じ詰めると、目の前にいる方に対する尊厳と尊重なんです」(小川淳也・衆院議員 512号)。

リスペクトの文化に向けては、社会の変革は複線的に進むという視点からの問題提起も重要だろう。

「コモンの再建に向かっては、他の三つの経済モデル(新自由主義、社会民主主義、デジタル封建制/引用者)『内部』の運動が重要になる。そして、それらのすべての運動が結合することなしには、第四の路線(コモンの再建/引用者)に進んでいくことはできないだろう。・・・ここで重要であるのは、いずれかの路線を『特権化』しないことである。例えば、グリーンニューディールなくして気候変動対策はできないのだから、コモンをめざす運動はナンセンスだ、という議論に陥る必要はない。現実の(ポスト)フォーディズム体制の内部から変革のポテンシャルを引き出すことと、それ自体を目標とすることは同じではないはずである。同じように、デジタル化そのものを否定する技術否定論的主張や、賃労働を超克する協同組合運動を特権化し、労働組合運動の意義を過小評価することも不毛である。それぞれの運動の意義と方向性を理解し、連帯を模索することこそが重要」(賃労働の系譜学 今野晴貴 青土社)と。

「安倍・菅政治の終わりの始まり」から、さらにこうした政治文化への転換の一歩を踏み出そうではないか。

 (「日本再生」513号より)

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総会のご案内

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第九回総会【会員限定】を、下記のように開催します。ご参加ください。

3月6日(日) 13時から17時

ズームにて (事前申し込み制)

申し込みは、3月4日(金)までに ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで

3月5日に、申し込みのあったアドレスにZOOMのURLをお送りします。

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