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地球環境正義、石炭火力発電所の全廃は自明にも拘わらず、自公維は反対
今朝の駅立ちは、12月越谷市議会の最終日の議員提出議案の意見書「石炭火力発電所の計画的な廃止を求める意見書」に対して、賛成討論を行うため、その準備で徹夜状態となり中止した。2021年10月に開催された、英国グラスゴーでのCOP26では、2030年までに石炭火力発電所の全廃を決議した。
日本でも2030年までにCO2の削減を46%まで実行することを国際公約として発表している。
ところが、COP26の会議に出席した岸田総理は、石炭火力の削減を始め、CO2の削減問題には一切言及しなかったため、2度目の”名誉ある” 「化石賞」受賞となった。
つまり、日本はCO2の削減目標値はやっと、46%と決定したにもかかわらず、そのロードマップには石炭火力による発電量を全体の19%も残すという計画となっている。
高校生や大学生を中心とするZ世代は、このため危機感から会場に乗り込み、岸田首相に手紙を手渡した。その内容は、「私たちの未来を政治家や大人が奪わないで欲しい、石炭火力は全廃に」と言うものだった。
本会議場では、自民党や公明党、維新や刷新の会の議員が反対して意見書は否決された。
しかし、反対討論に立ったのは自民党と維新の議員だけで、公明党や刷新クラブからは誰も反対討論がなかった。しかも反対討論には電力供給には石炭が当面必要、石炭火力の目標割合である19%をゼロにするための、代替エネルギーは困難である等の主張であり、これまでの政府の方針を名添えたに過ぎず、ならば岸田首相がCOP26で石炭火力発電について一切発言しなかった事とどう整合性をとるのか。
一体反対した議員は、市民や若者の悲痛な訴えにこれで応えたのだろうか。
また市長から追加議案として補正予算総額50億1900万円が提案された。国会で政府は野党の追及に二転三転した「子ども子育て支援金」を含む、補正予算について本会議場で、市長に質疑をした。
最終日での追加議案は、所管の担当常任委員会での質疑、採決を省略するのが慣例のため、本会議場でのやり取りだけとなった。質疑のポイントは、政府は全国の自治体にこの支援金を給付するように求めているのだが、それはあくまで「お願いする」姿勢と立場に過ぎない。越谷市で実施する義務も責任もないものだ。
つまり政府は自治体に対して指示や強制は出来ない様になっているもの、実際はこの間のコロナ対策が象徴するように、有無を言わせぬ中央集権的やり方であり、財源問題が大きい。
同時に自治体もその“指示”に抵抗せず、当面の施策を実施して来た。しかし、これでは自治体の自由裁量権は、いつの間か、法律に抵触するかもしれないのに、“現実的対応”と言う名分で自己消滅していく危険性が、ますます高まっている。 (12月17日・金曜日)
カンパ箱がないけど、どうしたの
今朝の駅立ちは、午前6時前から大袋駅西口でスタートしたが、一旦設置した街宣用具が猛烈な強風のため、幟が何度も倒たり、机が飛ばれてしまったため、途中で撤収した。
それでも、市政レポートの配布は何時もの様に順調に進んで行った。
午前7時30分頃馴染みの中年女性から、市政レポートを受け取りながら、あれーカンパ箱はどこですか、と尋ねられたので 先程の説明をした。すると笑顔で直接1000札を頂いた。 (12月23日・木曜日)
年末も若者のために、仕事を続けている
今朝の駅立ちは、越谷駅東口で、午前6時前に駅に到着して、街宣用具の搬出から設置の後、駅前周辺の清掃を終えて、市政レポートの配布を開始した。
午前6時30分頃、旧知の介護施設で働く介護職の中年男性でお会いしたので、仕事は明日(28日)まですか、と尋ねた。するといいえ、年末までずーっと仕事ですよ、と応答された。やっぱりコロナ禍でもあり介護職は年末でも休みが取れないのだろう、と思いながら、行ってらっしゃい、気をつけてと、見送った。
午前7時30分過ぎに、作業服姿の高齢男性が近づいて来て、話し掛けられた。私の事を今日の越谷駅だけでなく、新越谷駅で見かけていると、温かい缶コーヒーを差し入れ頂いた。
そしてサービス業についているが、年末には若い従業員にはゆっくり休んでもらうために、自分がその分の仕事を引き受けているので、当分休みはない、と話された。
ここにも、年末休みを取らずに働く市民がおられるのだが、その理由も様々であり、年の瀬が迫っていた。 (12月28日・月曜日)
正月3日日の街頭市政報告会で活動開始
今日は、2022年、令和4年の元旦で新たな年が始まった。しかし約2年間に渡るコロナ禍の影響によって、今年も新年の華やかな空気感がいまいちの元旦となった。
そのため、おめでたいという気持ちには微妙になれない年明けだが、今年も恒例となった正月3か日の市内駅頭での新年街頭市政報告会に取り組んだ。
元旦の午後1時30分から午後3時過ぎまで、せんげん台駅東口での報告会となったが、今回で19年目を迎えた。
ただ、昨年に引き続き、越谷市元旦マラソン大会が中止となったため、午前中は正月らしく、妻が取り寄せた博多仕込みのお雑煮をゆっくりと食べた。大晦日は至急の原稿を先延ばしにしていたせいで、真夜中の午前2時過ぎまでパスコンと向き合っていたので、午前9時前の雑煮が気持ちも体にもじんわりと染み込んで行った。
午後1時過ぎには、せんげん台駅東口前で街宣用具を設置して、新年のあいさつと12月越谷市議会の報告をしたのだが、青空とはいえ、猛烈な風が吹き続けており、駅前の市民も寒さに身を固くしていた。
そのせいもあり、昨年も人手が少なかったのだが、昨年よりも更に少なかったし、晴れ着の女性は皆無だった。
それでも例年通り、多くの馴染みの市民の方とお会いして、新年のご挨拶をさせて頂いた。
また、新年からご苦労様です、やっぱり元旦からやっていたんですね、何時もは朝の時間で急いでいるので、今日はゆっくり話せます、等声を掛けて頂いた。そしてカンパもして頂く市民も複数おられた。
更に、今年から新たなのぼり「少しお話していきませんか?くらしやすい社会ってなんだろう・・」と表示したグリーン色のものの使用も開始した。一年のスタートが、今年も始まった。 (1月1日・元旦)
たい焼きの差し入れのわけは
今朝の駅立ちは、正月3か日の3日目の市内一円での街頭市政報告会の開催で、午後1時30分から新越谷駅東口で取り組んだ。
元旦の様子とは少し違っており、多くの市民や親子づれや若者等、何時もの朝のラッシュとは打って変わって行きすぎて行く。
午後2時30分頃、中年男性が笑顔で近づいて来て、袋に入ったものと温かいペットボトルを頂いた。倉庫業に従事していて、正月なのでみんなを休ませており、自分が正月も仕事を続けている、と話された。
実は、4年前までは越谷市に住んでいたので、駅でよく私の話を聞いて改札に向かっていた、今は草加市に住んでいるが、新越谷駅は利用している。今日も仕事のため一旦通り過ぎてしまったが、耳慣れた声が聞こえて来て確認したら、やっぱり白川さんだった。そこで戻って来ました、との事だった。帰宅して袋の中を見たら、新越駅構内にあるたい焼き店「くりこ庵」のもので2個もあった。南越谷駅から、戻ってわざわざ買って頂いたもので、正月からそんな気遣いが心に染みた。 (1月3日・月曜日)