PDFファイル⇒ 一心太助の天秤棒NO83号.pdf
12月議会での質疑は市長提出の4議案に
午前4時30分頃には起床して身支度を整え、検温をして議会事務局に健康状態の報告書をメールで送信した。コロナ対策のため、議会開催中は毎日自宅で検温して体調のチェック表を報告するのが日課となっている。
今朝の駅立ちは、大袋駅東口に何時もの様に午前5時30分過ぎに到着して街宣用具を荷卸してから設置を終え、午前6時前から開始。
自宅を出る5時過ぎには辺りは真っ暗で、寒さも厳しく、コロナ禍も全く収まらない事態が続いている。今日は、12月議会の約20日間の会期の最終日となった。
そのため、午前8時50分には迎えに来た妻の車に街宣用具を積み込み、駅立ちを終了して直ぐに電車に飛び乗り越谷駅に向かった。
そして市役所近くにあるパン屋でパンを購入して会派控え室へ。午前10時から議会開始なので慌ただしく口に放り込んで本議場に。
コロナ対策のため、議会の日程が通常とは大幅に変更されており、6月議会から続いているのだが、前半に議決行為(議案に対する質疑や討論や採決等)を優先して実施し、後半に一般質問を行う様になった。
私は元々議案の議決等は最も基本的な議会の責任であり、最優先事項のため議会前半での日程を求めていたので、コロナ禍が図らずもそれを実現した形になった。
しかし、依然として一般質問花形論が抜け切れていない状況がある。それは一般質問とは市政全般にわたり様々なテーマを希望する個々の議員が個々の問題意識で取り上げ、市長や教育長等に質問するもので、当然だが全議員で議決することはない。つまり議会の最優先の責任からすれば、議案や条例を決定する議決行為とは程遠いものだ。
それでは何故花形の意識が抜けないのか。それは本会議場で市長や教育長を相手に議員独自のテーマを独自に展開できる自己アピール(?)の場となるからであろう。
勿論だからと言って一般質問に効果がないわけではない。それは市長のマニフェストの進捗状況や総合振興計画の実現等の検証をすることが出来る。またチームを組んで波状的に執行部の見解や改善策を提示することも可能となる。ただ、あくまで答弁するのは市長であり、しかも32分の一に過ない一議員への対応であり、一般質問で指摘した問題点や改善点を実行するかしないかは、全ての市長次第となる。
最もこの一般質問の時間はこれまで数十年に渡り2時間制だったのだが、自民党、公明党、維新等が議会運営委員会での異例の動議提案によって一挙に半分の1時間制に今議会から激変した。
議会運営委員会での協議には、私は委員資格がないため出席が出来ないため、出来うる限り傍聴をしている。自民党や公明党の議員は質問時間を一時間にすれば市民が傍聴に来やすくなるというのが短縮の主な理由のようだ。
ところが、一般質問が1時間制で開始された12月15日(一日5人と限定)には予定された午後4時30分を1時間も早く3時30分には5人全員の質問が終了してしまった。それは1時間どころか30分程で質問を終了する議員が相次いだからだ。これでは事前に市民に予告して個々の議員の質問時間が分かっていてもあまり意味のない結果となってしまった。
一体自民党や公明党や維新の議員はこの事態を市民にどの様に説明するのだろうか。
勿論質問時間は個々の議員の独自裁量であり、何分になっても何ら問題はないのだが。
一方、全議員による議決事項は例え市長の意向とは違っていても、一旦議決されれば市長はこれを実行する義務を負う事になる。
そのため本会場での議案質疑や各常任委員会での集中審査や議決が重要であり、また多様な立場の議員が多様な視点での質疑や討論こそが議会の醍醐味と言いっても言い過ぎではない。
従って、今回も私は市長提出議案の中で4議案について本会場で質疑をしている。
詳しくは、私のユーチューブの公式チャンネルで解説入りで配信しているので是非視聴して欲しい。 (12月18日・金)
毎回ぶつかるまで直進して来る男性
今朝の駅立ちは、せんげん台駅西口なので午前4時には起床して5時過ぎには駅に到着。街宣用具の設置の後、何時もの様に駅前周辺を清掃して市政レポートの配布を開始した。
この時間には、まだ駅ビルの蛍光灯は光を放っており真っ暗な中、通勤客がマスクとマフラーやコートに身を包みエスカレーターや階段を昇っていかれる。午前7時過ぎに馴染みの中年男性が、街宣用の机の上にあるカンパ箱にカンパを入れている姿が見えたため、市政レポートを渡す時に、朝のあいさつと共に「何時もありがとうございます」とお礼を言った。
すると少し表情が硬くなり(そのように見えたのだが)「いいえ、今回が初めてです(カンパが)」と返事をされた。私はカンパのことだけを言ったのではなく、何時も市政レポートを読んで頂いてありがとうございます、との意味を含めていた。
後程、確認したら2000円もカンパ箱に入っており、折角の心遣いになんだか水を差した様な気持ちにもなった。
午後7時30分頃制服姿の高齢のガードマンの方が仕事仲間と待ち合わせのようで、盛んにスマホで連絡をとっておられていたが、なかなか落ち合う事が出来ず暫く駅ビルに待っておられた。そしてスタンドに設置してある市政レポートを指さし「これ貰っていいですか」と尋ねられたので「どうぞ、お持ちください」と応じた。市政レポート2種類を開いて読んだ後、バックに収納された。そんな中市政レポートの配布は続いていたが、手にしたスマホだけを見ながら私の方に見向きもせず真っ直ぐに歩いて来る30代前半のサラリーマンが今日も同じ
行動を。何時も定位置に立っている私にぶつかって来る。
当然鉢合わせになろうとするので、身を斜めにして交わそうとするが、毎回体が衝突してしまう。その度事に「危ないじゃないですか、何故ぶつかって来るのですか」と声をかけるが一度も返事はないし、ないどころかそれでもスマホを見ながら階段を昇って行かれる。
直進している自分の邪魔をするなとでも、言いたいのか、不満一杯だがはけ口がないのか、今の若者のやりきれない気持ちの精一杯の表現なのか、返事をして頂ければ話をしたいのだが。 (12月22日・火)
また“うるせぇんーだよう”と捨て台詞が
今朝の駅立ちは、大袋駅西口だったので、午前6時前から市政レポートの配布を開始したが、この駅の通勤客は比較的ゆっくり歩いて来て、エレベーターや階段を昇って行かれる市民が多い。そのためか、市政レポートを毎回受け取って頂く市民の方へ「おはようございます。気を付けて行ってらっしゃい」と何時も声を掛けている。そして今日は年内ではこの駅では最後の駅立ちとなったため「一年間お世話になりました。良いお年を迎えて下さい」と付言。
勿論市政レポートなど見向きもせずに通過して行く市民も多いのだが、言葉で挨拶をして頂く市民や少し頭を下げ目線で挨拶をして頂く市民の方も多い。中には来年千葉工業大学に入学予定の女子高校生は何時も笑顔で「あはようございます」と声をかけてくれる。
午前7時30分頃私の前を通り過ぎて、エレベーターの入り口に来た途端に「うるせぇーだよう」とジャンバー姿の50代の男性が私の顔も見ずに吐き捨てる様にどなった。
そのためエレベーターの後ろ姿に向けて私は「今何と言われたのですか、あなた、あなたですよ」と3回も姿が消えるまで声を掛け続けたが、返事どころから振り向きもされなかった。
コロナ禍で増々格差と貧困が広がり、不信と分断に社会が覆われている。やり場のない不満が、誰も自己を承認してもらえない孤立感が、私を対象にぶつけられたのだろうか。そんなことで解消出来るのなら、それも受け止めるのだが、それで満足できるとは思えない。今日はクリスマスイブなのに。 (12月24日・木)