「がんばろう、日本!」国民協議会

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Index 

  • 冷戦後の〝終わりの終わり〟 

民主主義の復元力、開かれた国際秩序への試練の〝始まりの始まり〟

●国際社会の規範をどう内在化するか

●民主主義のための戦いを主体化するために

●次の国際秩序形成への困難な船出

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冷戦後の〝終わりの終わり〟 

民主主義の復元力、開かれた国際秩序への試練の〝始まりの始まり〟

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【国際社会の規範をどう内在化するか】

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、国際社会が冷戦後の国際秩序形成に失敗したことを示している。19世紀の帝国型秩序に代わる新たな秩序形成を模索した第一次大戦と第二次大戦の間の「戦間期」を、E.H.カーは「危機の20年」と論じた。それにならえば冷戦後は「危機の30年」として検証、総括すべきと言える(参照12-15面 中西寛・京都大学教授)。

ウクライナの主権を認めないプーチンの論理は19世紀型帝国の論理だ。それが「通用」するのは、二度の世界大戦を経て国際社会が培ってきた規範やルールが内在化されていないところだ。つまり「プーチンの戦争」に対する態度から、その国や社会が自由や民主主義、国際協調などの普遍的な価値や規範をどこまで内在化しているか、が検証される。

今のところ日本政府の対応は、ロシアに対する制裁やウクライナへの支援、避難民(難民というべき)の受け入れなどにおいて、曲がりなりにも普遍的価値の側に立つものといえるだろう。(ウクライナだけでなくアフガンやミャンマーから逃れてきた人々の受け入れも必要。在留外国人の人権も確保されなければならない。)

2014年のロシアによるクリミア併合の際は、対ロ制裁を打ち出したG7のなかで唯一、安倍政権は経済協力のカードを切り続け、「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と言ってのけた。こうしたことを繰り返さないためにも、日本外交のあり方として検証すべきだろう。

 日本社会、国民はどうか。世論調査ではロシアに対する制裁やウクライナへの支援は、概ね多数に評価されている。しかし一部には「どっちもどっち」、「(犠牲を抑えるために)ウクライナは降伏すべき」という意見も散見される。自由や民主主義、国際社会のルールや規範が、私たちにどこまで内在化されているかが試されている。

 「どっちもどっち」という態度は、国連憲章に代表される規範やルールを否定することにほかならない。ロシアの侵攻は明白な国際法違反であり、ウクライナの自衛権は国連憲章にも認められたものだ。地獄のような体験をした人々の「あらゆる戦争は悪」だという心情は尊いが、「どっちもどっち」という態度は、国際紛争を戦争で「解決」しないための規範やルールを営々と築いてきた先人と国際社会の努力を蹂躙することにほかならない。

 もちろん国際社会は「正義と悪」にきれいに分けられるものではない。しかもアメリカをはじめとする西側も国際規範を踏みにじる行為を繰り返してきた。プーチンはそうした不信感を利用したと言えるだろう。

だからこそ、ここまであからさまな国際法や国際規範の破壊に対して、国際社会が一致してこれを止めることが出来なければ、次の時代は核兵器の脅しによって国際紛争を「解決」するような世界になりかねない。

例えキレイゴトだとしても、国際紛争を戦争で「解決」しないための規範やルールを堅持し、発展させる側に立って次の時代へ向かうのか、それを蹂躙する側に立つのか。国連での投票はもとより、政治家も専門家もそして普通の市民も、まさに主権者としてこうした歴史の法廷に立っている。

ロシアのウクライナへの軍事侵攻をめぐって、「正義は人の数だけある」という相対主義や冷笑主義が散見される一方、それに対して日常生活レベルでの議論の空間も生じている。私たち自身が普遍的な価値をどこまで内在化していくか、その試金石ともいえるだろう。

【民主主義のための戦いを主体化するために】

 ウクライナのキスリツァ国連大使は国連総会で、「もしウクライナが生きのびなければ、その次に民主主義が陥落しても驚きではない」と述べた。

ロシアの軍事侵攻に抗する人々の声を、ウクライナの国民的作家はこう記している。

「私たちは退却せず、独立と自由を保たなければならない。降伏もしない。降伏するとは、ロシアの人々になることだ。従順で声を上げない。多くは無言で、もしくは声高に大統領を支持し、彼の決断やその結果には目を背ける――」(アンドレイ・クルコフ 3/16朝日)。

プーチンが恐れているのはNATO東方拡大という地政学的な脅威よりも、より本質的には近隣国の民主化である。(プーチンが最も恐れているもの https://www.nippon.com/ja/in-depth/a08102/?cx_recs_click=true)。降伏論は、ウクライナの人々に、自分たちのことを自分たちで決める自由や独立を放棄して、尊厳なき隷従に甘んじろということだ。

言うまでもなく、ウクライナの人々は玉砕を目指しているのではない。ウクライナの民主主義の終焉と従属国化というプーチンの戦争目的を押し戻し、ウクライナの主権と独立を停戦交渉の前提条件とするためだ。

降伏論をめぐって議論されるようになったように、ようやく日本でも、自由とは何か(自由のために戦うとは何か)、民主主義とは何か、国際協調(国際社会の規範、ルール)とは何かといったことを主体化するステージが始まろうとしている。だからこそ、この30年の民主主義をめぐる戦いを検証、総括しなければならない。民主主義は、権威主義との二分法によって深まるわけではないのだから。

バイデン大統領はウクライナ支援の最前線、ポーランドでの演説で「民主主義のための戦いは、冷戦終結とともに終わりを迎えたわけではなかった。この30年で、専制主義が世界中で復活したのだ」と述べた。ポスト冷戦におけるグローバル化と新自由主義の礼賛は、専制とポピュリズムの台頭を招いたと総括されるべきだろう。

西側先進国はITバブルやマネー資本主義に踊り、新自由主義の下で政治の領域は市場に明け渡されていった。ソ連解体後のロシアでは、国有財産の私物化をはじめとする「どろぼう政治」がはびこり、オリガルヒ(政権と結託した新興財閥)が跋扈し、汚職と腐敗が蔓延した。中国では社会主義市場経済の下でアジア型新自由主義(「世界4月号」梶谷懐 参照)が展開されている。

民主主義を深化させる、民主主義の復元力という問題設定は、その担い手たる主権者を不断につくりだすことにほかならない。それが伴わなければ、民主主義は専制や権威主義と地続きだ。

先進国におけるポピュリズムは、既存政党はどうしようもないという「正しい」指摘で分断を煽り、政治不信をもてあそんで地位を獲得してきた。政治を茶化し、能力はなくてもまじめに社会と向き合おうという者を冷笑し、それを「ネタ」として消費することがはびこった。「従順で声を上げない。多くは無言で、もしくは声高に大統領を支持し、彼の決断やその結果には目を背ける」という「ロシアの人々」の姿は、投票率50パーセントという政治不信社会の私たちと、どう違っているだろうか。(「自発的隷従とは」など、九回大会以降の議論を参照されたし。)

 プーチンの戦争は、こうした専制とポピュリズムに共通する社会の基礎を問い、揺さぶるものになるか。野党勢力が徹底的に抑え込まれたロシアでは、それでも言論統制の強化にも関わらず多数の市民が反戦の声を上げている。一方でプーチン支持も根強い。

 冷戦が終わって経済の相互依存に基づく楽観論が広がったとき、「マクドナルドがある国同士は戦争しない」と言われた。だがやはり経済の相互依存だけでは、民主主義は鍛えられない。消費者民主主義、依存と分配の社会は、権威主義やポピュリズムと地続きだ。

トランプをはじめ欧米のポピュリストは、これまでのロシア・プーチンへの好意的姿勢の弁明に追われているが、より本質的には、普通の人を民主主義の復元力の担い手たる主権者にしていく戦いの広がりと深さ、その集積こそが問われている。

【次の国際秩序形成への困難な船出】

プーチンの戦争は、短期的には国際社会を結束させた。ロシアの軍事侵攻を非難する国連決議には圧倒的多数が賛成し、ヨーロッパは安全保障のみならずエネルギー、経済などでも対ロ関係を根底から見直している。一方アジアの新興国のなかには、主権と領土の一体性、不可侵性は絶対だが(その点では国連決議に賛成票を投じるが)、欧米も信用できないという考えも根強く、経済制裁を含めて対ロ関係も一様ではない。そして中国は?

もはや冷戦後の秩序に戻ることはできない以上、この戦争は次の国際秩序形成への困難な船出――嵐のなかで羅針盤もないまま――とならざるをえない。

ロシアを安保理から追い出せとか、第二国連を作れ、という話もあるが、もともと国連は「敵」も含んで成立する組織だからこそ意味があり、それゆえに規範やルールに正統性があった。互いに違うことを前提に、破壊されたものをどう再構築するか。

「我々は、平和を得るために、互いに違うことを受け入れねばならない。この「互いに違うこと」とは、現在喧伝されている「多様性を受け入れよう」といった些末な違いなどではない。私たちが受け入れ、共存のために必要とされている「違い」とは、もっと根本的なもの――社会のあり方、信奉するもの、何を政府の正当性の源と想定しているのか、といったものに関係している。・・・「私たちのよう」でない人は、皆、何らかの欠陥がある、「私たちのよう」になれば良いのに気付いていない、などと決めつけるような欠陥だらけの信念を抱き続けるなら、それは終わりのない戦争の元凶であり続けるだろう」(ブランコ・ミラノヴィッチ「歴史の終わりの終わり:私たちはこの戦争で何を学んだのだろう?」 https://econ101.jp/

 ケニアのキマニ国連大使は、民族や宗教の同質性を追及して戦争するよりも、帝国主義によって分割された国境線を受け入れて国民的統合をめざしてきたアフリカの歴史から、ウクライナの主権を否定するロシアを非難した。国民統合をめざす戦いは、植民地宗主国に対する被害者意識までをも飲み込む懐の深さを伴うということだろう。民主主義のための戦いのなかから、敵・味方の二分法ではなく、「私たちのようでない」人々と共存していく知恵を絞り出していくことが求められる。

(「日本再生」515号一面)

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