メルマガ♯がんばろう、日本!         №299(23.7.2)

「がんばろう、日本!」国民協議会

がんばろう!日本!! 国民協議会

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Index 

□ リベラルな国際秩序と憲法の価値にコミットする

私たちはどんな社会を望むのか

●政治の劣化と無責任連鎖からの「歴史的転換」

●人権民主主義の〝小さなさざ波〟を連帯の糸口へ

●歴史的転換期に問われる「守るべき」アイデンティティとは

  • 戸田代表を囲む会(東京 京都) & 総会のご案内

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リベラルな国際秩序と憲法の価値にコミットする

私たちはどんな社会を望むのか

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【政治の劣化と無責任連鎖からの「歴史的転換」】

 会期どおりに終了した通常国会では、政治の劣化が一段と露呈した。

防衛費倍増は国会の議論なしに決定。入管法「改正」案は、立法事実が次々と崩れて国会審議に耐えず強行採決。LGBT法案は保守派(特に宗教右派)に配慮した結果、骨抜きにつぐ骨抜きで差別促進法にもなりかねない。

マイナカードのトラブルでは何が何でも保険証廃止を強行、さらに運転免許証や大学の出席確認(普及状況が交付金と連動!)などへも拡大する方向で、地方自治体の負担増や混乱にさらに拍車がかかると見込まれる。

 岸田総理は1月の訪米の際、昨年末の安全保障関連3文書改定などについて、吉田茂元首相による日米安全保障条約の締結、岸信介元首相による安保条約の改定、安倍晋三元首相による安保関連法の策定に続く「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つだ」と語った。だが、こうした政策の大転換に見合う審議が行われたとは言い難い。

総理は安保3文書の改定について、中身は「検討中」などと繰り返すばかりで、具体的な説明からは一切逃げていた。今国会でも、敵基地攻撃に使える米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入数を、予算案の衆院通過直前になってようやく公表するなど、情報を出し渋ったり、「手のうちを明かせない」として説明を拒んだりする場面が目立った。

 防衛費「倍増」に向けた初年度にあたる予算には、戦後初めて防衛費に充てるための建設国債の発行が盛り込まれた。先の戦争の教訓―「借金で防衛費を賄わない」という不文律は、与党の「数の力」で粛々と破られた。

 安全保障政策については戦後長らく、国民自身が考えることなく「専門家」にお任せのまま「平和」を享受することもできた。しかし、その前提となっていた国際環境、歴史的条件は大きく変容している。「財源問題」を、国民が防衛政策について考える重要な糸口として提示することを回避すれば、憲法が規定する民主的統制は空洞化する。

「国民負担という痛みがあるからこそ、本当に必要な防衛力が積み上がります。国債という麻薬のようなものを平時に使えという主張があることは信じられません。歴史的にも、いまのウクライナやロシアもそうですが、本当の有事では政府は嫌でも大量の借金をしなければいけません。平時は歳出改革以上の分は、税金で支えて頂くしかないのです。でも、だからこそ1円たりとも無駄にしてはいけないし、後ろ指をさされることがないように、国民への説明責任を果たさないといけません」(香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官 朝日12/23)。

 「最重要政策」の少子化対策についても、国会終盤に方針が決定され、中身を議論する時間は乏しかった。「史上最大のおねだり合戦」と揶揄されるほど施策のメニューは示されたものの、財源確保は後回し。総選挙をにらんで「官邸も含め、政治が国民負担の話を避けた」(自民党ベテラン)と言われる。しかし今の日本に、これ以上「先送り」を続ける猶予はあるのか。

「高度経済成長の時代と違って、今は撤退戦の時代です。「今はがまんして将来のために備えよう」、と国民に訴えるのが政治家の本来の役目だと思いますが、与党も野党も今の生活を守れとしか言えなくなってしまいました」(山田昌弘・中央大学教授 528号)。

まさに「今だけ、カネだけ、自分だけ」の無責任連鎖と、そこから生じた政治の劣化からの「歴史的転換」こそが求められているのではないか。

【人権民主主義の〝小さなさざ波〟を連帯の糸口へ】

一方で、入管問題やLGBT理解(差別)促進法あるいは統一地方選をめぐる光景からは、無責任連鎖の一角からの変化も伺える。マイノリティーの人権や気候危機、ジェンダーなど、これまでの「常識」では「票にならない」とされてきたイシューが、無責任連鎖の一角を動かし始めている。

「統一地方選から見えてくる新しい風景とは。「今だけ、自分だけ」という無責任連鎖の一角に変化。現象としては小さな「さざ波」、これが地殻変動になっていくかどうか。

コロナ禍での〝いのちとくらし〟という視点から、さらに「人権」という価値から政治や社会、経済あるいは人としての生き方を問うてみようという流れ。トピックとしてはジェンダー平等、LGBTQの権利、入管法など。マジョリティーにとっては自分の目先の損得、利害に直接かかわるわけではない問題に声を上げる、行動するということが顕在化している」(総会報告 529号)。

例えば入管法では成立後も各地でのスタンディングやデモ、地方議会への請願(入管法廃止の意見書)などの取り組みが続いている。法律が成立しても、困難な状況に置かれた仮放免者や難民申請者とつないだ手を離すことはできないから。国際人権基準に反する「難民申請者の強制送還」と「特定技能2号の分野拡大」を同じ日に決めている社会では、外国人の人権も私たちの人権も守られない。私たちはそんな社会を望んではいないのだから。

LGBT理解促進法も差別促進法ともいうべき内容に換骨奪胎されたが、それでも「まずはLGBTQ+の可視化が行われる。続いて自治体と企業が平等に向けたサービスと物品提供における差別解消に動く。そして右派・宗教支援組織のしがらみで動けない立法を尻目に、司法が法の下での平等を説く。このベクトルは否定できない」(北丸雄二https://twitter.com/quitamarco)。

人権は誰もが生まれながらにして持っている権利だ(義務と引き換えに与えられるものでもなければ、国益とのバランスを考量されるものでもない)。しかしそれが侵害されたり、実現されていないときには、闘って実現しなければならない。そうして一歩前進すれば、それに対するバックラッシュも生じるが、それを乗り越えることで人権の普遍性はより確かなものとなっていく。

今日の人権は、こうした歴史の蓄積のうえにある。だからこそ、差別と闘うためには「歴史を知る」こと、歴史への敬意が必要なのだ(李琴峰 5/12朝日)。LGBT法案の審議過程で喧伝された「女性を守る」と称するトランスヘイトに対して、フェミニズムの側が歴史を踏まえて反論しトランスとの連帯を表明したように。

人権やジェンダーの問題は、個々のイシューの当事者だけの問題ではなく、「私たちはどういう社会を望むのか」という連帯への糸口でもある。またそのようにしていくことで、〝小さなさざ波〟を地殻変動へ結びつけていくことが可能になるだろう。そのためにも歴史を知ること、歴史的に考えることが必要になるはずだ。

【歴史的転換期に問われる「守るべき」アイデンティティとは】

「歴史は繰り返さないが韻を踏む」という格言があるという。戦前日本は歴史的な転換期に大きな国策の誤りを犯したが、その轍を踏まないためには、単純なアナロジーではない歴史的思考が求められる。「歴史とは歴史家と事実の間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らない対話なのであります」というE.H.カーの言葉を借りれば、過去の出来事を知ることで今を生きるうえで何が大切なのかを考える、ということだろう。

世界は民主主義をめぐる歴史的変動期に入っていることを、日本でも意識せざるをえない。さらに歴史的にはじめて衰退局面を迎えているという現実も、いよいよ見ざるをえない。そのなかで人権民主主義の側に立つということ、そして冷戦的な二項対立ではなくグローバルサウスと連携してという立場に、政府も一応立っている。この点は大東亜共栄圏を掲げて大東亜戦争に走った戦前とは大きく違っている。

そのうえで、主体的内実がどこまで伴っているかが問われる。例えばこんなふうに。

吉田徹・同志社大学教授は「囲む会」で、ポスト冷戦期になって感情と歴史(認識)が国際政治を動かす大きなファクターになってきたと論じている(14―20面)。ウクライナに侵攻したロシアについても、ポスト冷戦期に培われた「恐れ」と「屈辱」という感情が大きなファクターになっているとみることができる。そしてその国民国家や共同体にとっての歴史的記憶やそれに伴う感情が安全保障上の問題になる現象は、ロシアだけではないと。

だからこそ歴史的思考――過去との対話によって現在何が大切なのかを考えることが問われる。存在論的安全保障――国家にとってはアイデンティティこそが大事であり、それがロシアのウクライナ侵攻を説明できる一つの大きな要因だとして、では日本にとっての存在論的安全保障―譲ることのできないアイデンティティとは何か。

「ここで手がかりとすべきは、日本は第二次世界大戦では敗者の側にまわったという事実です。『敗北を抱きしめて』というジョン・ダワーの本がありましたが、この敗北を抱きしめることを余儀なくされて今日まで生きてきた事実は否定しようがない。

しかし、敗戦国であるにもかかわらず、戦後は国際社会の秩序の中に組み入れられた。これは第一次大戦後にヴェルサイユ体制のもとで主権を取り上げられたドイツと異なる状況です。なぜなら、戦後秩序、欧米の作ったいわゆる「リベラルな国際秩序」の一員として迎え入れられたからです。

この「リベラルな国際秩序」というのは、アイケンベリーという国際政治学者が流行らせた言葉で、意味内容は多様ですが、基本的には、基本的人権、民主主義、法の支配の三位一体です。この三位一体の中で日本は発展し、ここまでの存在になった。これらの価値は日本国憲法の中にも刻まれているものです。その価値をこれからどのように維持していくのか、保守していくのかは、日本の存在論的安全保障を考えるときの一つの手がかりにしなければならないと思います」(吉田教授)。

リベラルな国際秩序にコミットすることなく「平和」を享受してきた戦後日本の無責任連鎖の延長では、戦前の歴史の教訓は「米英(覇権国)についてさえいればいい」ということにしかならない。言い換えれば、憲法の価値にコミットすることと、リベラルな国際秩序にコミットすることを一体としてとらえることが、歴史から学ぶことではないか。

戦後憲法の三原則は基本的人権、国民主権、戦争放棄とされるが、人権の普遍的価値にコミットしなければ、国民主権は単なる多数決独裁に、戦争放棄は一国平和主義に帰結してしまう。その民主主義は消費者民主主義、無責任連鎖へと帰結する。

さらに言えば、大日本帝国憲法にはなかった地方自治は、私たちがどのような社会を望むのか、基本的人権や国民主権そして戦争放棄の理念を21世紀にふさわしいものとして具現化していくための、最も身近な舞台にほかならない。

世界が歴史的な転換期に入る一方、わが国ははじめて本格的な衰退期に直面している。そのなかで、憲法の価値にコミットしようとする人々、シラフになる人々、避ける人々、無視する人々、憲法の価値を否定し復古主義に陥る人々・・・こうした主体分解の新しい光景が始まっている。この〝小さなさざ波〟を、無責任連鎖社会の地殻変動へとどう発展させていくか。それはなによりも、「どういう社会を望むのか」という私たち一人ひとりの意思にかかっている。

(「日本再生」 530号一面より)

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第213回 東京・戸田代表を囲む会

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「地方選を振り返る」

7月19日(水) 18時30分から21時

ゲストスピーカー 森愛・東京都議 ほか

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

*〝小さなさざ波〟をどうとらえ、どう発展させていくか。経験を経験値として共有したいと思います。

オンライン参加については後日ご案内

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第15回 総会

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8月19日(土) 13時から17時

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

*オンライン参加については後日ご案内

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第43回「戸田代表を囲む会in京都」

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「脱炭素社会への公正な移行(仮)」

ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学大学院教授

9月7日(木) 18時30分より

キャンパスプラザ京都・第一会議室

会費2,000円(学生1,000円)