メルマガ♯がんばろう、日本!         №292(22.11.29)

「がんばろう、日本!」国民協議会

がんばろう!日本!! 国民協議会

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Index 

□ 無責任連鎖から責任の民主化へ  民主主義の復元力の波を起こそう

●無責任連鎖を誰が断ち切るのか

●無責任連鎖=財政民主主義の破綻にどう向き合うか

□ 望年会のお知らせ

□ 囲む会(東京・京都)【会員限定】のお知らせ

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無責任連鎖から責任の民主化へ 民主主義の復元力の波を起こそう

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【無責任連鎖を誰が断ち切るのか】

岸田内閣の支持率が下がり続けている。7月の参院選直後にピークだった支持率は、その後急落、9月には支持と不支持が入れ替わり、10月に入ってからは危険水域といわれる30パーセントに近づいたまま。国葬と外交日程で大幅に日程が制約された国会も、開いてみれば一か月で3人もの閣僚が相次いで辞任(更迭)するばかりか、「次は誰?」と言われる状況だ。

「首相や自民党幹部は問題が明るみに出た当初は閣僚をかばう姿勢を見せ、辞任後も「国会審議への影響を最小限とするため」といった説明に終始している。これでは閣僚交代の理由は何で、政権としてどう反省しているのかが国民にきちんと伝わらない。

首相は閣僚辞任のたびに「任命責任を重く受け止めている」と繰り返している。そうであれば辞任による幕引きは許されず、問題や疑惑の解明と丁寧な説明への指導力を発揮すべきだ」(日経11/21社説)

辞任ドミノと言われる政権の状況は、まさに無責任連鎖そのものといえる。政治的不祥事が生じるたびに繰り返される「誤解を生じさせたなら、申し訳ない」とか「真意が伝わらなかった」という類の他人称の「お詫び」に比べれば、岸田首相は責任を認めて謝罪しているものの、「責任がある」をうやむやにする無責任の本質は同質ではないか。

「ここに、政治における無責任のあり方のひとつを見つけることができる。それは自らに「責任がある」を肯定しない態度である。・・・謝罪対象のすり替えは、政治責任の在りかにまで、責任追及の刃を届かせない。・・・不祥事の当事者は表面的な出来事に関して責任を取っているのであり、自らの政治責任、すなわち政治権力の選択的な行使に関する能力をどのように保持しており、いかに行使したかについては触れない。当該の出来事について、「責任がある」をうやむやにする」(鵜飼健史「政治責任」岩波新書)。

「政治責任の在りか」とは何だろう。統一教会との密接な関係を問われた山際大臣、職責を軽んじた失言を問われた葉梨大臣、政治資金報告書のずさんな管理を問われた寺田大臣、公職選挙法違反の疑いが浮上している秋葉大臣…法的な責任(違法行為)や道義的責任のレベルとは別に、これらに共通する「無責任」とは、「自らの政治責任、すなわち政治権力の選択的な行使に関する能力をどのように保持しており、いかに行使したかについては触れない」(鵜飼 前出)点だ。国民の付託を受けて国政の権力を行使する、という公職に伴う責任の在りかがうやむやにされ続けている。まさに無責任連鎖と言うべきだろう。

 

この無責任連鎖を誰が断ち切るのか? 

岸田首相の鈍感さや判断の遅れが、辞任ドミノの悪循環を招いているとも指摘されるが、土井隆義・筑波大学教授は、岸田首相の姿は現代に生きる私たちの社会の「合わせ鏡」でもあると、次のように分析する。

「安倍元首相は、自分と価値観の違う人を強制的にのみ込んで『こっちを向け』という先導型。他方、岸田首相は『おれの色に染まれ』とは言わない調整型。だから、当初は国民からすると『癒やしの岸田』という声もあった。でも、配慮しているようで実は放置するだけになっている。国民を『配慮の外部』にしてしまっているように見えます」(アエラ11/28号)。

先導型の「安倍政治」では権力の私物化に対しても、「誰々の責任」追及に収れんさせることも可能だった。(ただし森友問題での公文書書き換えを問う裁判でも、誰も責任を問われていない。「夫は法律に守ってもらえなかったのに佐川さんは守ってもらえるのか」と赤木さんは訴えている。)それに対して調整型の岸田政治では、誰もが無責任だから誰の責任も問えない。そしてそれは社会の「合わせ鏡」でもあるとすれば、政治家の無責任は私たちの問題だ、ということになる。

「先ほど、政治家の無責任は私たちの問題だと言った。しかしそれは、私たちが問題のある政治家を選んだという意味(だけ)ではない。無責任が発生しているのであれば、私たちがそれに対処する責任を投げかけられるという意味においてである。政治家を不満に思う私たちが、現実を(権力で)変えられないと発想する俗流リアリズムに染まっていないだろうか。たしかに政治家は無責任かもしれないが、私たちは自ら責任を取ることを拒絶していないだろうか」(鵜飼 前出)。

誰もが無責任だから誰の責任も問えない。こうした無責任連鎖の蔓延のなかでは、政治家やリーダーを評論したり批判することにとどまらず、フォロワー同士のなかで、「あなたも私も主権者ですよね。当事者として考えませんか」という関係性をつくることが決定的になる。責任の民主化とは、そういう攻防のステージだ。

【無責任連鎖=財政民主主義の破綻にどう向き合うか】

「別の角度から言うと、民主主義というなかに隠されている無責任の本質とは何か、ということ。右肩上がりの下では「依存と分配」と言ってきたように、物質的な恩恵だけで民主主義を見ていれば、非物質的資本主義の段階では「今だけ、カネだけ、自分だけ」になる。これは転換期には左右のポピュリズム、大衆迎合になる。財政民主主義も緊縮財政=ケチとしか理解できない」(戸田代表 総会報告)。

無責任連鎖は、財政民主主義の破綻として露呈している。

「国家運営のたがは緩むどころか完全に外れてしまった。岸田政権が過日発表した追加歳出29兆円という総合経済対策にそんな感覚を抱いたのは私だけではあるまい。

物価対策なのに巨額の財政出動そのものが物価高をあおるという政策的矛盾の問題はひとまず置いておく。より深刻なのは自民党中枢から平然とバラマキや規模拡大を求める声があがり、それが言い値で通ってしまう政権・与党のタメの無さ、歯止め不在の危うさである」(原真人 朝日11/23)。

ちなみに29兆円の歳出のうち8割(22.8兆円)は国債増発でまかなう。そのうち約20兆円は公共事業などの投資以外に充てる赤字国債であり、本来なら財政法が発行を禁じているものだ。そもそも国債発行なしに毎年の予算が組めないという財政状況下での巨額の財政出動は、コロナ禍での「異例」の措置だったはずだ。それが検証もされずに漫然と続けられている。

膨れ上がっている予備費もクセモノだ。コロナ予備費と呼ばれる予備費20兆円のうち、国会に使途を報告した12兆円あまりについて日経新聞が調査したところ、使途を最終まで確認できたのは約8千億円だったという(日経4/22)。

国会の議決なしに政府が使途を決められる予備費は、この二次補正を合わせて22年度は11兆7千億円と、コロナ対策で膨らんだ20年度を上回り過去最大となる。国会の議決なしに政府だけで使途を決められる予備費を大きく増やすことは、憲法が定める財政民主主義の軽視にほかならない。

 

 財政民主主義とは、市民社会が議会を通じて国家の財政活動をコントロールすることであり、その職責を果たすことが国会議員の責任にほかならない。同時にその議員を選び、彼らを通じて政府をコントロールするはずの市民にも、「主権者として」考える責任がある。「今だけ、自分だけ」で将来世代にツケを回し続けるのか。税を「取られる」だけの存在に甘んじるのか、納税者からさらに主権者へと当事者性を深めていくのか。そのために「あなたも私も主権者ですよね。当事者として考えませんか」というワイワイガヤガヤの関係性をどう作りだしていけるか。

 

防衛の分野でも財政民主主義が問われている。「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」がまとめた報告書は、財源について「幅広い税目による負担が必要」と提言している。与党内には「増税なき防衛予算の拡大」を求める声があるが、報告書は「国債発行が前提となることがあってはならない」と断じる。戦時国債で戦費をまかない続けた結果、戦後のインフレによって国民が保有していた国債(国民にとっては資産、政府にとっては借金)をチャラにしたという「歴史の教訓」があるからだ。

ウクライナ戦争や中国の軍拡などを理由に、防衛省の概算要求は過去最大となった。なかでも項目に金額の上限記載がない「事項要求」が急増するなど、防衛省の概算要求額は不透明化している。ここで懸念されるのは、安全保障政策に関する合理的な判断そっちのけで、膨れ上がった予算の分捕り合戦が展開されることである。五輪もコロナ対策も利権まみれだったように、財政民主主義を機能させないプロセスは、まさに有識者会議が指摘する「歴史の教訓」に反するものだ。

 報告書は、「金融市場の信認を確保することが死活的に重要」と指摘し、財政基盤の強化を求めている。また、わが国の防衛力強化には国民の協力が不可欠であると、真正面から説くことで幅広い税目による負担が必要と訴えている。国民の税負担への忌避感は、政府に対する不信に根差している。これは防衛の根幹にかかわる脆弱性だろう。

コロナ禍で私たちは〝いのちとくらし〟の観点から、「政治なんて誰がやっても変わらない」のではないことを痛感したはずだ。政治は他人事でも、〝いのちとくらし〟は自分事として向き合わなければならない。だからこそ、「今だけ、自分だけ」で将来世代にツケを回し続けるのか。税を「取られる」だけの存在に甘んじるのか、納税者からさらに主権者へと当事者性を深めていくのか、私たち自身が問われている。

財政は難しい? 確かに「兆」がつく金額はなかなか実感しづらいかもしれない。しかし自治体の予算や決算なら、自分たちの暮らしと密接に関連づけて当事者性を持って考えることは十分可能だろう。地域の今とこれからを、財政民主主義の観点から自分事として話し合う。統一地方選に向けて、そういうワイワイガヤガヤの場をつくりだそう。

(「日本再生」523号 一面より)

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注目のニュース

「習近平は辞めちまえ!」中国の”ゼロコロナ反乱”が日本にも波及…新宿西口で抗議主催者と参加者に直撃 | 文春オンライン (bunshun.jp)

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□ 望年会のお知らせ

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◆関西 望年会

 12月16日(金) 18時から21時

 東華菜館 古き良き伝統 京都の東華菜館 (tohkasaikan.com)

ゲストスピーカー 川勝健志・京都府立大学教授 (専門 地域経済、公共交通)

会費 8000円

申し込み  杉原 sugihara@s5.dion.ne.jp まで

◆東京 望年会

 12月18日(日) 16時から19時

 「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所 + オンライン

 会費 1500円 (予定 オンラインは無料)

 申し込み  【準備の関係上、事前申し込みになります】

 会場への参加は 042-566-2950 井上まで

 オンライン参加の申し込みは ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで (12/16まで 12/17にURLを送ります)

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囲む会(東京・京都)のお知らせ

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●東京 第208回・戸田代表を囲む会

12月4日(日) 13時30分から17時30分

「がんばろう、日本!」国民協議会 市ヶ谷事務所

ゲストスピーカー 岡田知弘・京都橘大学教授

「私たちの地方自治 自治体を主権者のものに」

同人 1000円  購読会員 2000円 【40名程度。基本的に事前申し込み】

*Youtubeでも視聴可 (無料)。

視聴申し込みは ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで  (12/2まで 12/3にURLを送ります)

●京都 第40回・戸田代表を囲む会in京都

2023年1月13日(金) 18時30分から21時

キャンパスプラザ5階「演習室」

ゲストスピーカー 岡田知弘・京都橘大学教授

「自治と経済」(仮)

会費 1000円

申し込みは sugihara@s5.dion.ne.jp