一心太助の天秤棒_2020年1月-75

PDFファイル⇒20年1月天秤棒No75

今年で17年間続く正月街宣活動
2020年の幕開けの新年の元旦、2日、3日の新年正月街頭市政報告会を本年も元旦の午後、せんげん台駅東口を皮切りに、3日間取り組んだ。
毎年定例開催をしていて、今回で17回目を数える。毎年元旦の午前9時20分、越谷市総合体育館前から周辺道路を走る親子づれ(歩く?)を含む市民ランナーが参加する「越谷市市民マラソン大会」の開会式への出席から1年が始まる。
本年も一連の正月からの活動のスタートを切って、その後市内一円での街頭市政報告会を実施した。せんげん台パークタウン団地前のイオンスーパー前や地元の大里のスーパーバリュー前なども恒例の場所となっている。
また、例年通り「チーム白川」の市民の方も行動を共にして頂いている。
例年元旦を返上しての参加となっている。
ただ、本年がこれまでと大きく違ったのは、3日の午後2時から新越谷駅東口での、街宣活動には、6人もの市民が駆けつけ、2時間30分程のマイクでの訴えの全てを市民がマイクリレーしながら、社会に増々広がる貧困と格差に対してそれぞれの思いを伝えた事だった。 
つまり、私はこの日は1回もマイクを握る事はなく、市政レポートの配布を終始担当した。
そして終了後、近くの居酒屋で急きょ反省会兼ささやかな新年会の開催となった。
(今年初めてお酒を口にしたが)
その中では、昨年と違い道行く市民の表情に少しの明るさがあった事や服装も正月らしい若者も散見されるなど、雰囲気が良くなっている様に感じた、との感想が出された。オリンピック気分なのか。
ただ、昨年は本当に全体に暗く、晴れ着姿の女性は一人もいなかった事と比べれば、との前提条件つきではあったが。
そして、私はその後帰宅しての夜、広島県福山大学から帰省している長男と妻と3人でおせち料理を食べながら、やっとゆっくり自宅で過ごすのも例年の事となっている。(1月3日)

財布の有り金全部をカンパ箱に
今朝の駅立ちは、せんげん台駅西口で、何時もの様に午前5時過ぎに駅に到着して、街宣用具を車から降ろして設置した後、駅前の掃除をして市政レポートの配布を開始した。
午前6時30分頃、馴染みの中年サリーマンの方から、1000円をカンパ箱に入れて頂いた。
この日はその後、次々とカンパが4人もの市民から寄せられた。その中には、午前7時過ぎすでに退職した元サラリーマンの方で、娘さんを駅まで車で送って来て、現役の当時と同じ様に市政レポートを受け取って頂いている市民がおられる。
この日も同じ行動だったが、暫くカンパ箱の、前で何やらしておられた。
私は、通勤客への市政レポート配布に集中しており、良く見ていなかったのだが、後で確認したら合計848円の沢山の小銭が入っていた。恐らく財布の中の小銭を全部取り出していたので、時間がかかっていたのでは、と推測した。そのためこの日のカンパの総額は4848円となった      (1月21日)

友達に上げるので、2枚下さい
今朝の駅立ちは、大袋駅西口で午前6時前から開始して午前8時30分過ぎまでの2時間30分、市政レポートを配布した。
午前7時30分頃馴染みの中年女性に挨拶をした後、市政レポートを手渡した。
すると、この女性がもう一枚下さいと手を出されたので、どうしてですか、とお尋ねしたら、お友達に上げて見せてやるの、との返事だった。
16年もの駅立ちを通して多くの市民の皆さんと交流や会話を交わして来ており、中には手渡した市政レポートをファイルに全部保管しておられる方がおられる。
更に午前8時前、馴染みの大袋地区でスポーツレクリエーションの役員をされているサラリーマンの方から、「第5回大道自治会マラソン大会」開催の案内チラシを頂いた。
主催は、大道自治会と大道スポレク委員会で、2月23日(日)に大道自治会館及び隣接の9号公園が会場となっている。なんと参加者全員に記念品と豚汁等の飲食を提供する事になっていた。
その他にも、職場の仲間に毎回読むように薦めている市民もおられる。
今回の様に自分以外の市民に広げようとしている市民の方が存在している事にまた勇気付けられた。
毎日自宅を出る5時過ぎは、まだあたりは暗く、しかも猛烈に寒い。ベンチコート等の防寒着に身を包み携帯のホッカロを持参してはいるが、3時間近くの活動は正直肉体的にも精神的にもつらく感じる事は稀ではない。
それだけに、数分間に過ぎないこんな市民の声や反応がどれほどの支えになっているのか。
市民の方それぞれの小さな連帯の行動が物資化している事を強く感じる日となった。
まだまだ、肌を差す寒気の日が予測されるのだが、続ける事が市民に応える道だと信じて。(1月23日)

5票差で落選してから、づーっと
今朝の駅立ちは、北越谷駅東口で午前5時20分頃到着して、街宣用具を設置して車を最寄りの有料駐車場に駐車して、再び駅に戻って来て、駅前の清掃作業をした後、市政レポートの配布を開始した。有料駐車場の利用で何時もより早く到着し、終了後は清算するのだが550円の料金となってしまう。昨年11月末から出産のため娘が里帰りしており、妻がその世話で早朝から係りきりとなり、駅立ちへの輸送が出来ない。
そのため、私が車を運転して、街宣用具の積み出しの全てを引き受けている日が続いている。
午前8時頃、中年女性から声が掛かった。白川さん、今何期目ですか?と尋ねられた。えー5期当選して議員活動17年目に入りました、と返事。
あたなが5票差で落選されて、それ以来づーっと応援して来たんでよ、と。
そうなんですか、と言うことはほぼ20年間を超えますね、そのお蔭で今日も駅立ちをすることが出来ています、と応答した。
今思えば、最初の越谷市議選での5票差の落選と言う試練を経験しなければ、今日の位置も感覚も身に着くことはなかっただろう。
落選当時は、政治生活や社会活動の全てに終止符を打ち、家族のためだけに生きて行く事を迫られた。しかし人生には人との出会いがその後の人生を大きく転換する事を、落選後から20年間を通して学び続けている。
             (1月27日)

3日連続で、駅立ちは中止
朝の駅立ちは、行政調査を今日から3日間実施したため、3日間連続して中止した。
これまで議員任期の期間中は当選以来、市議会会派に所属していたので、会派主催の行政調査も議会派遣の行政調査も複数の議員で参加して来た。しかし、今期無所属で1人となったため、会派の行政調査は出来なくなった。ただ議会派遣の調査は1人でも実施出来るため、(ただ、必ず事前に調査地、調査項目、日程等議会で議決される必要があり、12月議会で承認された)宮崎市、鹿児島県知覧市、日置市の3市を調査した。      (1月29日)

一心太助
越谷市議会議員 白川ひでつぐ オフィシャルサイト